先日、神奈川県厚木市の某大学キャンパスにインターンシップのプレゼンテーションに出張する。昨年からJA鹿追町と鹿追町、農家がが協力して提携がスタートして、1週間程度学生を受け入れした。約100名前後の学生を前に農場での生活や農作業体験の簡単な説明を行う。その後は希望する学生がJA鹿追町のブースに集合してもらい具体的に意見交換をして参加を促し、学生の意義、成果などを両者で確認する。
昨年参加した学生に来ていただいて、鹿追でのインターンシップの体験談を説明してもらう。決して楽しい場面ばかりではなく、農作業の厳しさも周知する。彼ら先輩たちは「明確な目標」を持っており、卒業後は本州、北海道で新規就農や農業関係の就職のために視野を広げ、将来の職業の選択肢の拡大を目指す。
ブースに集合した学生の眼差しは真剣な表情で聞き入っていた。
田舎のおじさんも視野が広まった東京出張となった。村瀬ファームでは従来の台湾国立屏東大学に続いて、今年度から新しく台湾国立嘉義大学とのインターンシップ提携を結ぶことになり、7月より硬式野球部の女子学生二人が先行して体験に来ている。
嘉義大学は1931年、嘉義農林高校時代に甲子園に台湾代表として初出場し準優勝した経歴を持つ。数年前、「KANO」と言う映画が台湾で大ヒットして日本でも好評を得た。また昨年の甲子園で活躍した金足農業高校の「KANANO」旋風のときも話題が盛り上がった。
さて、今年は息子たちの母校「OBINO」帯広農業高校が十勝地区を久しぶりに制覇して北北海道大会に出場する。NHK朝ドラ「なつぞら」の舞台にもなって注目されているが、今度は実力で「OBINO」旋風を巻き起こしてもらいたい。長い人生と同じ最後まで諦めない野球を貫いてほしい。
映画「KANO」は札幌商業学校野球部投手だった錠者博美が出征途中に台湾に立ち寄る場面から始まるが、実際には錠者は中国大陸に出征し、戦後はソ連によりシベリアに抑留され、イルクーツク近郊のマリタ収容所で亡くなっている。ただし、劇中で錠者が発する「嘉義に着いたら起こしてくれ」という台詞は、実際日本兵の間でよく語られた言葉と言われ、敗戦色が濃厚となった太平洋戦争末期、「どんな状況下でも決して諦めない嘉義農林の球児たちを育んだ土地を見たい」と思う日本兵が多かったという。{Wikipediaより抜粋}
来年,帯広農「OBINO」は開校100周年を迎えるそうである。また球児たちの感動の夏がやってくる。