今年度使用する肥料500キロパック200本ほどが届いている。JAが100%出資の子会社に運搬を依頼しています。石灰、カルシウム剤、融雪剤なども運搬してもらいます。春作業が始まる4月まで100坪の倉庫は肥料で満杯になる。
肥料費だけでも1400万円程に膨れ上がる。今日の肥料はJAに依頼して、キャベツ用に遅効性になるようコーティング肥料を配合してもらう。施肥してから50〜60日くらいでゆっくり溶解してくれるため、長芋にも転用している。
今年度使用する肥料500キロパック200本ほどが届いている。JAが100%出資の子会社に運搬を依頼しています。石灰、カルシウム剤、融雪剤なども運搬してもらいます。春作業が始まる4月まで100坪の倉庫は肥料で満杯になる。
肥料費だけでも1400万円程に膨れ上がる。今日の肥料はJAに依頼して、キャベツ用に遅効性になるようコーティング肥料を配合してもらう。施肥してから50〜60日くらいでゆっくり溶解してくれるため、長芋にも転用している。
最高気温10℃が二日間続きすっかり雪が解けてしまった。2月に気温が10℃を超えるのは55年ぶりとのこと。 二日連続は観測史上初めてだそうである。記録的な暖かさに畑の土が見えるようになった。今後も暖かい日が続くようだ。融雪剤散布は省略できそうだが、こんな時は大雪が降ることが度々ある・・・。想定できないのが最近の天候である。今年はどんな年になるか。
我家のRootsは岐阜県揖斐郡揖斐川町の出身である。1600年、関ヶ原の合戦で戦いに敗れた石田三成が逃げ込んだ『伊吹山地』の麓にある。大垣市から養老鉄道で15キロ北に登る。
杉林が生い茂る山間の麓に日吉神社がある。大正7年に我家の開拓の父(初代)が寄贈した石の鳥居ある。北海道の開拓に目処がつき揖斐川出身(上野地区)の竹中農場の先代など、開拓者が狛犬などを寄贈している。
*本社は近江国比叡坂本鎮座の日吉大社の御分神である。建久元年(1190)源頼朝右近衛大将となり京都青蓮院三世慈円に青蓮院領として美濃国小島庄を寄進された。その由緒により庄園鎮護の為「日吉山王社」をこの地に勧請祭祀された。今より約八百年前の創建である。御祭神は大山咋神をお祀りしている。(岐阜県神社庁より転記)
明治末期に村瀬家先代は帯広に開拓入地して、芽室から鹿追に土地を求めて大正5年ごろに定住した。ここ北鹿追地区は天理教団体が東北、九州から開拓に入っており、母親の先代(天理教団体)の祖父が札幌農学校出身でアメリカ式農法を取り入れていた。
当時は厳しい自然環境で冷害では農産物が収穫できず、豊作では(農産物価格の暴落)で収入が得られず、肥料や資材の高騰が追い打ちをかけ、夢破れて本州に帰る農家が続出していたそうである。回想録などでは、現在のように『農協』が存在せず団体で価格交渉が不可能で、大豆、小豆等は商人たちに買い叩かれていた。そんな窮状から正月に向けて帯広市へ少しでも高く現金収入を得るため大豆、小豆、蕎麦を馬橇に積んで売りに行った。しかし安くしか売れず、宿泊費、交通費などで、財布から現金が消えたり、赤字になったそうである。
十勝鹿追の大地には涙と汗と開拓者の苦労が染み込んでいることを再認識してほしい。農協不要論は全くナンセンスである。販売等をしてくれる『農協』が存在することで、我々生産者は農産物の生産に専念できる。
我ファームの土地に稲作もしていたようだが無理だったようで、食べるのにも困窮していたのでしょう。離農した畑を譲り受けて一時は200ha以上を大正から昭和初期の時代に耕作していたが、無理が祟り倒産したそうだ。そんななかで現在地だけは死守して営農していた。父親が子供の頃タンスなど家具に差し押さえの赤紙が張られていたことを覚えているそうだ。今から100年くらい前のことである。
農家をやめることは簡単だが、続けて営農できることは楽しいことであり大変なことでもある。先代が苦労して開拓した土地を4代目の自分まで100年間守り、これからも守る責務を痛感する。今年の営農計画を策定した時、先代が斧や鋸を持って柏の大木を切っている姿を想像して、私らも『頑張らなければ!』と感じている。
②関連投稿2011、12月16日。(写真は以前に訪れた揖斐川町上野の日吉神社にて)
大晦日から25cmほどの降雪があり静かな新年を迎えた。
最高気温ー9℃と冬らしい温度と『十勝晴れ』の青い空、白い大地。いつもと変わらない正月となった。
12月31日、午後4時、気温ー6℃、⛄️雪がしんしんと降っている。畑に眠っている長芋は喜んでいるでしょう。これから寒さが厳しくなっていく前に暖かい布団になる大量の雪である。金額にして1500万円ほどになるので、凍結して破棄されるか、無事に残るかでは天と地の差になる。・
香港からワーキングホリデーで働いている「暁」が念願の北海道大学大学院に🈴合格した。昨年まで失敗していたものの、今年は背水の陣で再挑戦した。7年前に京都大学大学院に合格をした「温」以来となる。
普段は農場で働きながら休日や夜間において勉学に励み、週に2日自動車学校に、あと2日は弓道教室に通う。仕事、遊びなど積極的に探究心をもって行動する。見ていて感心する。
「暁」は母国には戻りたく無いという。あまり詳しく書くと母国で拘束される心配があるので公開しないが・・・。こんな国が近くにあるとは迷惑な事である。残りの人生は北海道民として生きることを決意したようだった。
職員全員で努力の結果にお祝いをする。彼女はまず梅酒ロックで🍻乾杯した。
最低気温17℃の月曜日の朝、タイヤショベルが写真のようにフォークの爪を地面に突き刺し、ライトを点灯したまま芋畑🥔に放置されていた。当然、バッテリー上がりをして動かない状態に。
早速、野外電池式防犯カメラのSDカードを見たが、素人では判別が、、、。当初、盗難途中で放棄したとおもったが、嫌がらせだと判明する。夜間にショベルを操作できるということは、運転を熟知している方だと思う。爪を刺して前輪を浮かすことは簡単ではないが、経験者なら容易いことである。
物騒な時代になったなぁと感じつつ、新型の野外防犯カメラを注文した。
国内では外国産の高価なGPSが普及している。
安価な国産品のGPS機器を昨年からなんとか導入したいと調整していた。定着させて、手頃な価格で我々一般人でも操作できることを探っていた。今年は3台のトラクターに取り付けて始動する。最初不具合があったがすぐに復帰して順調に稼働している。
ビート、馬鈴薯などの播種作業は従業員に任さられるようになり、喜ばしい限りで胸を撫で下ろした。残りのトラクターに取り付けるメドがつく。手持ちのAndroidの端末が使用可能で大きなモニター画面は必要ない。他のトラクターを使用する場合、接続機器で登録しているトラクター名、受信機をチェックするだけで簡単である。
複数のトラクターで作業したが問題はなく使用可能であった。また鹿追町を網羅できるマイ基準局(おおよそ半径20kmの距離)があるので電波は良好である。時々受信状態がH/FIXにならない時があるがスマホ、GNSSデバイス等を再起動で解決している。(防風林のふちもOKであったが、防風林の位置、向き、大きさによっては不具合が生じる。)国産GPSを応援して普及させましょう。
36年使用しているトラクターキャビンのガラスが外れる。吾輩では上手に修理できずに数年が経過していた。トラクターディーラーに修理依頼して出張修理してもらう。ガラス同士接着するコーキング剤は市販物でできることに驚いた。修理作業を最初から見て覚える。今度は自分でできる自信が湧く。
晩御飯は焼肉でも食べに行こうと農場住人で帯広市へ出かける。生ラムジンギスカン、牛サガリ、牛シマ腸(味付けは塩だれなど)一人前700〜900円を25人前ほど平らげた。生ラムは美味しいですねえ。5人で3万円食べて飲みました。『生ラム、ホルモン・いなみ』さんご馳走さまでした。
日本ハム関係者が首脳陣を占める侍ジャパン。北海道の方々は仕事をしていられない毎日です。今日は決勝戦。歴史的瞬間を見逃すことなく4Kテレビの前に陣取る。もちろん仕事は明日に持ち越しです。
今年は作業場の変更に伴いビニールハウス設置機器等の引越しが始まった。
まず、灯油式温水ボイラー、廃油ストーブ、出入りするアルミドアなどを設置する。燃料を供給する灯油管を地面下20cmに6m埋設する。5cmほど土が凍結しており、ツルハシで表面を無心に砕いた。ツルハシとは鶴の嘴(くちばし)に似ていることから由来している。
設置業者さんが来てくれていたので頑張りすぎてしまった。その代償は大きく夕飯が食べることができずダウンする。11時間の睡眠を必要とし、年老いていたことに今頃気付かされた・・・・。(各種年金受給資格3年目)
写真の温水ボイラーは燃料が灯油だが、2030年ごろまでには燃料は水素になっていることでしょう。
当地鹿追町は北海道で唯一の定置式商用水素ステーションが昨年オープンした。原料は家畜の糞尿。町内に3万頭の乳牛、肉牛から無尽蔵に産出される。乳牛1頭でFCV水素電池自動車が一年動かせる水素がまかなえる。ということは3万頭いるので3万台の水素電池自動車が運用(単純計算)できることになる。今後技術が向上すると安価に供給できることも可能ではないか。
昨年は官民一体となって19台(町公用車10台、民間企業9台)の水素電池自動車が導入されて稼働している。これとは別に農家の方がトヨタディーラーから水素電池自動車を導入したと情報を得て、興味津々で色々教えていただいた。最初は従業員用に中古車を考えていたが問題が噴出。新車を勧められた。
1、本州にある中古車が売ってもらえない。北海道にはほとんど在庫がない。海外への技術流出を防止するためか?
2、製造から15年で水素タンクを交換しなければならない。*15年乗れれば残存価格もなく廃車にできますね。
3、寒冷地仕様(4輪駆動)がない。初代ミライは前輪駆動でほとんど問題がないらしい。新型は後輪駆動になったが横滑り防止、空転抑制装置がどのくらい威力を発揮できるか未知数である。冬は雪の少ない十勝地方だがセカンドカー的になってもらうかな。
4、中古は国の補助金が適用されない。鹿追町の最高50万円が適用されるが2017年製以降に生産されたものに限る。新車なら国から140万円、鹿追町から最高100万円の補助金が支給される。
などの諸事情から新車を導入すことにした。マイカーが19年目を迎え税金も高額、ハイオクガソリン使用、燃費も悪いなどを理由に更新する。初代ミライは車体ベース、内装等(プラットフォーム)がプリウスだったのが、新型ミライはレクサスLSやクラウンだと聞いてお得だと思った。車両本体であれば補助金で500万円を切りレクサスLS級に乗れる。さらに税金は減免により格安である。自動車税は5年間無料。
そこで初めて気がついたことが。FCVはエンジンがないのだ。ず〜と水素エンジン電池車だと思っていた・・・・。いずれにしても私が生きているうちに水素エンジンもしくはFCのトラクター、トラック、ボイラー、合成燃料などが登場してくれるでしょう。えっ、いつまで生きるつもりか? 『せめて平均寿命ぐらいはと願っている・・・』
こんなこと晩酌しながら考察していると、鹿追に生まれ生活していることに喜びを感じた瞬間であった。
12月22日に湿った雪が30〜40cm降る。3棟あるビニールハウスのジェットヒーター、温風暖房機を点火して屋根に積もった雪を溶かす。点検を怠っていたため、2台の温風暖房機が故障していて夜業で修理する。修復するまでジェットヒーターで代用する。
ビニールハウスの天井部分に乗っていた厚さ20cmほどの湿った危険な雪は滑り落ちた。午前1時ごろ温度センサーを設定して眠りにつく。翌日朝、防犯カメラのケーブルが取り付け金具から抜けて全部ダメになっていた。ケーブルは垂れ下がり、わずか三日ほどしか稼働できなかった。。。
来年使用する肥料の配達が始まる。平均価格は昨年比85%の値上がり。1年間の肥料費は約1000万円なので1850万円に膨れ上がる。その他農業資材費、農業機械、農薬、燃料、電気代など全てにおいて値上がりの項目ばかり。農産物価格が横ばいであれば所得がその分減額するということ。大変な時代になった。食料自給率(カロリーベース)は年々下がり野菜、肉類が顕著である。近くの農家の離農も増えて寂しい話が増えてきた。
例えばビート肥料は昨年2200円ほどが3900円に、キャベツ用肥料は1900円が3700円になった。系統肥料は4200円〜4600円ほどになる。高くなりましたね〜〜。町内にある二つのバイオガスプラントの消化液(液体肥料)を利用したいがいまだに実現していません・・・。聞いたところ3000円(散布代込み)トン当たりと安価な価格設定なので、対象地域外だが要請したい。これだけ肥料価格が高騰していると重宝されてくると思う。化学肥料と比較すると力不足だが、将来に向けての土づくりの貯蓄となるだろう。冷害時などに威力を発揮します。
また、耕畜連携を推進して畑作農家がデントコーン、牧草を作付け、酪農家の畑にじゃがいも、野菜などを作付けする。交換耕作(コーン栽培)することによって土壌中の菌根菌が増え、更に大豆等を栽培することによって菌根菌が活性化する。活性化した菌根菌が土壌中に固着したリン酸を引き出す役目をする。価格の高いリン酸肥料の減肥に繋げられる。十勝の土壌には二百年分のリン酸が眠っているそうです。それでも農家はリン酸を投入(作物が土中からリン酸を吸収できない)しなければならない。(帯畜大、谷教授が我が家の畑で説明してくれました)
中国習近平主席が主張しています。「自分のお椀には自国で生産した食料を入れる!」輸入の食料に頼る日本は「有事の際、頭を下げて物乞いをしようとでも・・・・。」
11月18日、帯広農業高校農業科の1年生34名が視察研修で来てくれました。我が息子二人も農業科で学び、野球部に所属してみっちりと教育してもらった。お盆と正月しか帰ってこなかったが、2年半にわたる部活動中心の学校生活は本人たちの人生設計に大きな影響を与えたのではないでしょうか。わずか2年半の期間、坊主頭でもいいではないか。私は今だに坊主頭である。(毛がないので仕方なくですが・・・。)
1時間の持ち時間であったが力が入りすぎてかなりオーバーしてしまった。農場の現在における課題や取り組む事業などを説明してから、平均年齢23歳の職員の自己紹介や農場の感想や将来の展望、香港人職員(日本永住権取得)のパフォーマンスなどを披露する。
農場最大の課題は「労働力の確保」10年前に手間のかかる「野菜」を導入して派遣会社に労働力を依頼していた。徐々に派遣人数が厳しくなり危機感を持ち始めて対策を練る。まずは外国人農業実習生を二人、北海道ツーリズム協会の求人サイト「田舎暮らしのススメ」に掲載して「日本人対象のワーキングホリデー」を募集した。と同時に農場公式ホームページとブログを開設して、農場の日常生活や仕事内容を発信した。
さらに最初に来た台湾人ブロガーが農場の様子を発信してくれた。そうすると本物のワーキングホリデーで来ている外国人の応募がたくさんあり、30歳以下の若者が働きに来てくれた。今までに台湾91人、香港20人(うち女性3名はここで知り合った日本人、台湾人の男性と国際結婚して新規就農等している。香港の女性は積極的にアプローチをして、気が強いが芯がしっかりしていて情熱的である)、ヨーロッパ4人、マレーシア3人、オセアニア3人、USA1人(韓国は応募がゼロ)が来ている。
常に10名前後が在籍していて農作業に励み、休日は旅行や観光地巡り、ショッピングなどに出掛けていた。(構成は台湾人や女性が圧倒的に多い。台湾人女性は香港人に似た気性だが更に強いかもしれない。ラータイメーと言われるくらいであるから。香港人と比較してカップル成立は極端に少ない。)
また、台湾の国立大学2校とインターンシップの提携依頼があり、毎年夏季休暇を利用して学生を受け入れ、大学にも出向いて研修報告会などに参加した。のちにワーキングホリデーを利用して再び働いてくれた学生もいる。
当社に就職を希望する学生も多く、外国人在留資格の取得に向けて申請はするものの認可が降りていない。日本ではワーキングホリデーから就労ビザが取得できないことが慣例となっている。ここは何とか緩和してもらわないと、労働力不足は解消されない。魅力ある北海道の農業を経験し理解した高学歴の優秀な人材が失われている。ワーキングホリデーの滞在期間を1年から複数年にしてもらうだけでも効果はある。農水省からも働きかけてもらいたい。
現在の技能実習制度は大きな欠陥を抱える。送り出し機関へ多額の支払い(数百万円)が慣例となっているため、発生する課題は絶えないが国もやっと改革案を発表した。ワーキングホリデーは多額の金額を積んで来ていることはないので問題は発生しずらい。
さて、視察に来てくれた農業科学科の高校生は7割程度が農業後継者もしくは実家が農業であり、遠くは道南、オホーツク地方からも農業を学びに来ている。高校卒業後はゆっくり遠回りで就農することを薦めた。目標は高く設定して、最初から諦めない、最後まで諦めないで目標に進んでもらいたい。大学、専門学校等に入ってからも遅くはないでしょう。(このパターンが多いかな?)
現状の経営に満足することなく、農場経営にとって何が良いものはないかと戦略を立案する。アップルの創業者、スティーブ・ジョブスの好きな言葉 [Stay hungry, Stay foolish!] 日本におけるハングリー精神、無謀な挑戦とでも言おうか。失敗を繰り返し無謀な挑戦を続けながら「i phone」が生まれた。基本的には農業も変わりはないと思う。私の農業人生は「挑戦と失敗」の連続であった。
え〜〜〜と、今はある程度成功してると思いますが・・・・。
おとなり韓国の学生を対象に行なわれたアンケート調査の結果。「農業は大切(重要)か?」との問いに9割の学生が「重要だ」との返答があったそうだ。しかし、実際に農業関係の職に携わる学生は数%に過ぎない。重要だと回答した学生が実際に農業に就職するのは0.6%とわずかである。
日本もそれほど数値は変わらないと思う。農業は大切な職業であるが、農業では働きたくない!というのが本音であろう。あえて触れたくない、興味が無いのが現実的かもしれない。おいしい食材があれば危機感は希薄だと思う。
昨年、インターンシップの東大生として当農場で研修をした「農水省職員」のこうせいが連休を利用してキャベツの収穫を体験していった。前日の夜に歓迎を込めてBBQで楽しく懇談する。堅い話は抜きにして楽しい話題で盛り上がった。
次の日の朝。昨夜は20代の普通の若者だった女性陣(従業員)が仕事モードに切り替わる。テキパキと動き回る姿を見て、昨夜の20代の女性の容姿とのギャップに驚いたそうだ。こうせい曰く「格好いい!」農業に汗する女性に感動したと言うことだ。農場の自家野菜の昼食を食べながら「しみじみ」と話していた。頬に土をつけて逞しく働く姿は「格好良く」都会には皆無に近い「魅力がある姿かもしれない」
霞ヶ関での仕事と、一日一人約1000個のキャベツを収穫する仕事。どちらも大切(重要)な農業もしくは関連の仕事。
土にまみれ、たくましく農業で働く彼女たちを見て「かっこいい!」と感じるのはこうせいだけではないのは確かなことである。はたしてこの事に、彼女たちは気がついているだろか・・・。
例年1月、2月は営農継続のため栽培計画などをJAに提出する。同じ農作物を栽培していると大きな変動はなく同じことの繰り返しになる傾向がある。おおよそ200戸ある町内の農家戸数で長芋を栽培しているのは3戸だけである。今年から1戸増える予定。
十勝地方で長芋栽培が始まって約50年が経過している。村瀬ファームは6年目を迎え中古やその場しのぎで集めた作業機が更新の時期を迎え、合計1000万円前後の新規機械を導入する計画を立案する。
また、隣の農家(離農済み)が住宅、車倉、倉庫、山林を譲って頂くことになり、職員に無料で住んでもらうために打診中。住宅は築30年だがまだまだ住むことができる。ハンドメイドの我が家と同じです。
将来、職員は新規就農も視野に入れて無料で移譲をする。農業機械、作業、農地等はシェアリングで使用して連作障害などを回避して、徐々に独立も可能とする。今年から全般にわたり職員と相談を重ねながら令和4年度が始まろうとしている。
職員住宅は男子寮2室、女子寮2室(独身向け)、6LDK1戸、2LDK1戸(家族向け)が空室となっています。住むところは心配ありません。家族向けは有料ですが安価だと思います。
その礼状が届く。高校球児の共通の目標は「甲子園」。その条件は大会での優勝、好成績、もしくは他校の模範となる野球部の活動。そのためには学校、野球部生徒と指導者、保護者、学校OBなどが一丸となって活動することが必須条件である。
18年前、私の息子二人が帯農野球部に在籍していた頃は突出した選手が皆無で「甲子園」は夢のまた夢であったように感じていた。それでも野球部、保護者会が結束して北・北海道大会ベスト4まで進んだ。毎日、旭川から試合を応援して帰り、午後9時頃から搾乳をした保護者もいた。このときの準決勝は全校応援ではなく、臨時の応援団の予算援助が充分でなかったそうだが、今回は準決勝、決勝が全校応援で盛り上がったそうで安心した。やはりそうでなければ。高校野球は学校のバロメーターではなかろうか。
高校野球は強いだけではだめである。将来大学生、社会人となって部訓にもあるように物事に取り組んだとき「最後まで諦めない」精神を貫き活躍できるような教育の場としてもらいたい。来年も帯農球児、OBが活躍することを願う毎日である。長い人生のなかで高校野球の体験は人間形成にとって貴重な宝になることは間違いない。
春期のインターンシップの学生(近畿大、東京大)を迎え入れて、5haを予定している長芋の種切りの作業が始まる。JA川西から供給された原種を当農場で自家栽培した約25トンの種子を使用する。
東京大農学部の学生は4月から農水省スマート農業担当になるそうで、就職前に別海の酪農などを体験してから、当農場で研修をしている。当地JA鹿追町ではスマート農業をいち早く取り入れて、東大、立命館大、ヤンマーとの産学協同でキャベツ収穫機を開発成功した。現在は全自動キャベツ収穫機の実用化に向け最終年となる実証試験をする。昨年、当農場で試験データを取得している。
2年前、農業共済新聞全国版に収入保険の加入推進の記事を見た。JA共済職員から説明は受けたことがあるが、あまり詳しい知識がなかったので食い入るように見た記憶がある。芽室の黒田さんが全国農協青年組織協議会会長をしていたときに、収入保険制度を国に運動して新設したそうである。是非、加入してほしいと推進している記事であった。
当農場は加工用キャベツ、長芋と共済制度が適用になっていない作物が農産物販売収入額の7割を占める。既存の農業共済制度では非常に不安定な農業保険となっていた。場合によっては農業経営に大きな影響を及ぼすことになる。
収入保険は過去5年間の収入の平均値のなかで、最高と最低を除き中3年の平均値を1割以上下回ると保険が適用となる。適用となった場合は保証金額の9割(任意)、が支払われる。その時点で初年度に自分で積み立てた積立金も充当する。
今までと大きく違うのはどんな作物にも適応になり農業収入で判断できると言うことだ。当社のように後継者が不在で後継が職員になりそうな場合も安心して営農できるのが収入保険である。
ちなみに長男はJA北海道中央会広報に所属して「農業の魅力や現実をマスコミ、SNSを利用して道民に広く理解してもらう」仕事をしている。長男なりに北海道の農業に貢献してもらえば本望である。私たちは現場で老体にむち打って若い職員と頑張るまでである。
と農業共済新聞の取材に答えた。前回は全国版であったが今回は全道版とのこと。週間に発刊される農業共済新聞を楽しみにしている。https://www.youtube.com/watch?v=nSL6DzfcAC8
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
十勝の山麓地帯にやっとわずかですが雪が降った。依然として平野部の帯広は積雪0cmと例年通り雪のない正月を迎えました。
今年の冬も雪が降らず、暖かい十勝の大地です。9月22日に播種した秋まき小麦は順調に生育しており、寒さから守ってくれる雪を待ち新年を迎える。長期予報では昨年同様、12月にはまとまった雪は降りそうにない。
農場はすっかり従業員も台湾、香港に帰国して静かになる。彼らは2週間ホテルで隔離され、プラス自宅で1週間外出禁止になるそうである。時々散歩をしてくれた彼等を恋しく思うのは柴犬の番犬「ゆう」も同じ境遇かな・・・。住民を失った住宅群は閑散としている。
来年の農場運営の企画を考えていると名案が浮かんでは迷案に見えて明暗を分ける。中古の播種機(プランタ-)を購入して、長芋の施肥&半自動播種機を自分で製作すことにした。脳内での設計図は完成しているので「実行」スイッチをONにするだけになった。
なんと!町内の温泉宿泊施設(然別湖畔温泉ホテル風水、然別峡かんの温泉)を利用すると、1泊2食13900円が5000円の特別価格になる。鹿追町民限定ですが、町民で無くとも町内で働いている方も対象となる。
職場、団体等で温泉でくつろげるとあって、願っても無い企画に飛びついた。夕食、朝食は豪華な食事を堪能でき、ズワイガニ、豚しゃぶや町内産の食材を使用した美味しい料理が並ぶ。美味しかったですよ!
まだ、利用が少ないそうなのでチャンスですよ。予算が限定されているので早めに予約しましょう。瀕死の北海道観光に応援も込めて利用した。
何度でも利用できるので、別な温泉にも行く予定です。楽しみです。
11月14日に長芋の収穫が終了する。その後、従業員二人が初めて収穫(ハーベスタ2台で)してくれた掘り残しのビートを全員で拾って、R2年度の収穫作業を終えた。中古のビートハーベスタを200万円で取得し職員に預けて作業を担当してもらった。初めての収穫作業にしては予想以上に上出来でした。
残るは畑起こし、サブソイラー、緑肥の粉砕、ビートの最後の出荷、行者ニンニクのビーニールハウスへの搬入、機械の収納などがある。
本日はこれから17名の出席で「村瀬ファーム」納会を鹿追町民割を利用して、然別湖温泉ホテル風水で開催する。全般にわたり平年作以上豊作未満だった当農場産農作物と一生懸命頑張ってくれた従業員の皆さんと最後の締めくくりを祝いたい。あわせて来年も健康で楽しく農場の運営ができるように祈願したい。
毎朝、最低気温が0度近くと冷え込んでいる十勝です。今日から小豆の播種とキャベツの手取り除草が始まる。
「特別定額給付金10万円」に大喜びのワーキングホリデーの皆さん。給付金の申請を済ませて鹿追町では15日から給付が始まる。日本はなんて良い国なのか? 外国人に優しい。ここの農場には15名ほど居るので150万円が給付される。
ところが世帯主の私には申請書が配達されない。いくら待っても配達されない。何か変だと思い役場に聞いてみた。
「村瀬さんには確かに申請書を送付しています。」「きていないですよ!」
「まあいいかあ!そのうちくるだろう・・・。」と電話を切った。
すぐさま役場より電話がなる。「村瀬さん、世帯主はおじいちゃんです。」「えっ?そうなんですね。」失礼しました。世帯主は自分だとズ~~ト思い込んでいたので、改めて世帯主は誰かなのか確認が必要です。
89歳の父親に聞いたところ「申請は終わっているよ!」とのこと。お金がもらえるときは仕事が早い。それも密かに? 10万円よいずこに・・・
2月12日(水)は最高気温プラスの8度と4月の陽気となった。道路、畑の雪が溶けて流れだし畑の低地に池のように停滞している。先週はマイナス30度を下回っていたとは考えられない気温の変化である。
さて、2月になると今年の畑作物の作付けを計画しなければならない。種子、肥料などの申込みが終了しているので、書類で営農計画書を農協に提出すだけなのですが・・・。なかなか計画書に手をつける気にならないのは困ったものだ。と自分で嘆いている。
ただ今年は作付け割合が大きく変動する。主力のジャガイモは平年と比較して30%減。小麦も30%減。いずれも価格低迷が要因している。ビート(甜菜)は20%増、小豆は200%増、加工キャベツと長芋は同じ面積となった。
加工キャベツは契約栽培のため価格が安定している。さらに村瀬ファーム産を指定してくれるカット業者が複数あるそうで、うれしくて10ha栽培します。そんなこと言われると「生産する意欲がわいてきます。」
加工用キャベツは甘みが命。牛糞を中心に有機物が豊富に投入された圃場はあまり化学肥料を必要とせず、甘みを増した個体が生産される。化学肥料を大量に施肥すると窒素過多などにより、成育が旺盛になり個体は肥大するが「苦み成分」等が形成される。
お好み焼きを口に含んだときキャベツの甘みを感じることは重要であると思う。
3月8日頃には1回目の加工用キャベツの播種作業が始まる。11月まで長~~い勝負の戦いがつづく。皆で頑張りましょう。
私の長男、次男がお世話になった帯広農野球部が、念願の春のセンバツ甲子園に選出された。1年生全員が全寮生活を体験でき文武両道で学生生活を送れる。16年前も挨拶や生活などを厳しく生徒に指導していただき、安心して親は仕事に専念できた。公立高校のためスポーツ推薦もなく、息子たちの頃も部員のほとんどが農業後継者であった。当然、ずば抜けた選手も存在しなかった。しかし、日々の練習で鍛え上げた雑草魂で、北北海道大会ベスト4まで勝ち上がった。当時若かりし頃の現前田監督もコーチとして指導していただいた。
昨年は北北海道大会も拝見したが、息子たちの頃より数段実力が上手で、ひょっとしたら?と感じていた。札幌や私学の実力校と互角以上に戦えるチームになるとは。充分に甲子園に出場する資格を有すると思う。
毎年、農業科の生徒40人が農場視察に来てくれています。ほとんどが農業後継者で占められる。引率の野球部顧問の先生の前で偉そうなことは申せませんでしたが・・・。
私の経営方針は生涯、挑戦者であること。常に作物の新しい栽培技術などに挑戦して失敗する。失敗することによって成功の鍵を発見する。最初から諦めてはいけない。最後まで諦めてはいけない。と生徒に伝えた。
最後にもう一度、1931年台湾の農業高校、嘉義農林高校 KANO が甲子園に台湾代表として初出場して準優勝したことがある。一昨年の金足農高校 KANANO の準優勝にあやかって、OBINO の活躍を願う。FFJ農業クラブの歌を声高らかに歌うことを実現してもらいたい。
`現在、嘉義農林高校は台湾国立嘉義大学となっている。昨年、村瀬ファームと嘉義大学との間にインターンシップ提携を結び、野球部の学生等を受け入れしている。そんなことで、今回の帯広農の甲子園出場は何かの縁を感じて感慨深いものがある。農業と野球が意外なところで強い絆があると思う。
昨年は大変良い年となりました。本年も実り多き年になりますように。
昨年から行政区の神社係のため年越しは、地元の神社で過ごした。大晦日は雨、みぞれが降るなか新年の参拝は3家族が来てくれた。神社内はマイナス気温のためジェットヒーター、灯油ストーブ、電気ストーブを持ち込んで寒さ対策をするが、お供えのバナナ、人参、りんごは硬い金属のように凍結している。正月三ヶ日で100名近くが神社を参拝してくれる。
今月中旬過ぎにはスキー場、ホテル、などへ散らばっていたスタッフ「ラータイメイ」が大挙、農場に戻ってきてくれることになっている。今までにない現象で嬉しい悲鳴である。また過去在籍していた日本人スタッフも複数来てくれる予定で、農場の運営に協力してもらうことは心強い。
あと1週間後の11日には台湾総統選挙があり、農場に来る台湾の若者たちも投票を済ませて来る予定。独立志向、民進党の蔡英文。中国との融和志向、国民党の韓氏。ワーキングホリデーで来る若者には、断然、蔡英文氏の人気が高い。香港の若者には警察の父を持つ者もおり、農場内での会話には慎重を期す。どうも香港の動向が影響したようで韓氏のブームも去ったようである。若者が将来に期待できる候補が勝つことになるでしょう。
今年最後の農場視察が終わる。鹿追町は4年前から日本ジオパーク(全国に30数カ所)に認定されている。鹿追中学校での授業「新地球学」という総合的な学習の時間がある。その目的は、鹿追町のエネルギーについて調べ、知ることで「ふるさと鹿追町」の電力事情を知り、「持続可能な社会」とは何か考えるきっかけとする。視察によって情報の収集、課題を分析して解決する、とある。
鹿追町ジオパーク推進室の協力で、鹿追中学校1年生A,B組全員が当農場の雪室を見学に来てくれる。こちらから5項目の設問を提示して、項目別に生徒と一緒に雪室について学習する。雪室の気温は約3度Cと台所の冷蔵庫とほぼ変わらない。普段冷蔵庫に入ることができないので、入った気分で学習する。意外と暖かく感じるが軽装では寒い。
*雪室はなぜ必要なのか? *雪室で貯蔵した農産物はどこに出荷されるのか? *貯蔵されたじゃがいもはなぜ美味しくなるのか? *雪室の欠点や利点はなにか? などの設問に生徒から発表してもらい、こちらで説明する。彼らの眼光は鋭い。的確な意見を表現するので感心する。3 月まで小学生だったとは・・・。持ち時間は20分しかないので「あっと言う間に終了ブザーが鳴り響く」実際には鳴りませんが・・・。レベルの高さを認識させられた。鹿追の将来は彼らに託して大丈夫でしょう。
精一杯、力のこもった説明をさせていただいた。これだけ真剣に耳を傾けてくれると説明にも楽しさが加味される。雪室とは化石燃料を使用せず、雪などの自然エネルギーを使用したエコな農産物の貯蔵施設である。さらに電気などを使用しないので維持費がほぼ0に近く、冬を越えるとじゃがいもに含まれるデンプンが糖質に変化して甘くなって美味しくなる。いい事だらけの雪室を理解していただけたと思う。欠点は断熱材(発泡ウレタン100mm使用)など建設費が高額なのと、最近は冬季間のじゃがいもの市況が悪く、S~M玉は値段が安くて出荷できないまでになっている。頭が痛いところである。
学生の一人Uさんが帰り際、「貯蔵できない農産物は?」といままで想定したことのない鋭い質問をされた。うっかり「何でも出来ると思う」と言ってしまったが・・・。サツマイモ、かぼちゃなどは1〜5度Cの雪室の室温では腐ってしまうので、常温で保管するのが適切なので注意してもらわないと。
大学入試のための学習ではなく、地域に根ざした「生きた学習」は義務教育の原点であると思う。このような学習が大学入試に取り入れることが急務である。それをサポートする町、鹿追町ジオパーク推進室に敬意をはらいたい。
今日は約半年ぶりに10mm以上の降雨量を記録して作物に活気が戻る。じゃが芋の畝を調査のため掘ってみた。地表面5cm前後が湿っているがそれ以上はパサパサの状態である。もう一日以上は降雨があれば十分な量になるが・・・。
行者にんにくは種子(蕾)を持ち始め7月末頃に種子の収穫をする。じゃが芋の品種「男爵」は萌芽がきれいに揃う。品種「きたひめ」はバラバラの萌芽が目立つ。加工キャベツは一気に元気が出て7月末の収穫に向けて葉を展開する。
地元農協で製造している化学肥料500kg、100本ほどを運輸会社が届けてくれる。今年1年で500kgトランスバッグ200本くらい使用する。これからはカルシウム剤、追肥用の硫酸アンモニア、尿素、有機肥料、キャベツ用育苗土などを、4月まで倉庫に収納する。金額にして約1000万円ほど使用する。
清水寺のご住職森清範貫主が揮毫した漢字一字は「災」。昨年の暮に偶然、本州のある宿にてご住職が利用されている部屋に緊張しながら2泊した。これも何かの縁。今年の漢字は「明」とでも予約しておきましょう。ついでに元号も改元されるので予想として「永・輝」なども使用していただきましょう。
今年の畑作(耕種)は6月の長雨、低温、7月の旱魃、ゲリラ豪雨の影響などで概ね不作の平成30年となる。特に北十勝に位置する地元鹿追町は降水量がずば抜けて多く、湿地を抱える農家は影響が多大であった。当農場の長芋の冠水箇所は収量皆無であった。
鹿追町のキャベツ、小豆、小麦、イチゴ苗等は上記の異常気象で生育が停滞して収穫時期が大幅に遅れるが、7月中旬からの好天が続きある程度作柄はV字回復した。加工用キャベツは大豊作となり10アール当たり8トン前後の収量となった。小麦は8俵台を確保したが製品率が70%台と振るわなかった。小豆は4俵ほどあり価格が25500円なのでまずまずの収益となり最小限に被害を食い止めた。
しかし、被害が甚大だったイチゴ苗は本州に出荷する契約本数の65%しか苗を確保することができなく、他の産地から調達することになった。そのため調達金額の半分ほどをイチゴ苗生産組合で保証することになった。農家のなかでは60万円の水揚げで40万円近く保証金を支払う方もいて、一年間、誰のため、何のためにイチゴ苗を管理して赤字に転落するのか疑問に思うことがあった。
今回の異常気象は天災には認定されないとのこと。結果的には農家が過失を犯したわけではないので、そこまで責任を取る必要があるのだろうか。気になるところだ。加工用キャベツも契約栽培なので同じことが起こりうるかもしれない。今後のイチゴ苗生産の意欲に関わることだと思うが・・・。
先日8日に改正外国人入管法案が国会で承認され、外国人労働者(技能実習生)の受け入れ拡大が来年4月から施行されることになった。当農場はワーキングホリデー、インターンシップを利用しているためあまり変化はない。
各産業の人手不足は誰もが認めるところ。国会で野党が追求している外国人労働者の管理、生活環境の整備などを重点的に、官民あげての取り組みが必要不可欠である。受け入れ側も悪徳ブローカーなどを利用しないように業者の見極めをしなければならない。
今年度は出前講座を含めて視察、修学旅行生等は、地元鹿追小学校、中学校、高校、しかおいジオパーク関連、北海道ツーリズム協会関連、JICA、酪農学園大学、天使大学、北海道大学、東京農業大学、北海道情報大学、大阪芸術大学、立命館慶祥高校、帯広農業高校、日本農業経営大学校 、大阪府立鳳高校、大阪府立市岡高校、大阪追手前高校、神奈川県立神奈川工業高校、神奈川県立小田原高校、神奈川県立川和高校の生徒さん等を受け入れしました。ありがとうございました。(予定も含む)
写真中段の高校生は毎年来ていただいている、銀の匙のモデルとなった帯広農業高校農業科(畑作、野菜、園芸など)の生徒さん。息子の後輩になります。引率の先生は10年以上前に野球部でお世話になった監督さんです。クラスのほとんどが農業後継者であったり、実家が農業を営んでいる。おとなしい生徒さんが多く質問等の意見を引き出すのに一苦労する。台湾、香港、マレーシアの従業員と文化、言語、ゲームなどの違いに触れてもらった。
その後、農場が抱えている悩みや将来の展望について話しをする。十勝農業は慢性的な人手不足のなか、従来通り家族労働で賄う農業、従業員を雇用して大型農業を目指す農業と2極化になっている。今後、従業員は外国人に頼るしか残された道はなさそうである。ここの農場のように殆どが外国人というのも珍しい経営なのだが・・・。まだまだ農業に興味や新規参入する意欲ある日本人の若者もいる。
「農業の魅力とは?なんぞや!」と、ここで経験してから新規就農する従業員もいる。結論から言えば社長であるから経営は自由になり、やりがいがあるということである。それだけで十分だと思う。楽しいことばかりではないが、学生たちには今度生まれ変わったとしても「農家の子供で有りたい!」「農業を生業としたい!」と告げた。人生100年!北海道農業100年!北海道の歴史は始まったばかり。まだまだ未知数である。
農業人は死ぬ朝まで畑に出勤して人生を全うしたい。父親は86歳になるが未だにそれを実行している。生涯現役である!
下段の写真は立命館慶祥高校の皆さん。
畑には石が点在している。場所によっては3人がかりで抱えるような岩石級の石もある。毎年石拾い作業を続けると、さすがに少なくなってくる。
感覚的には毎年拾っているのに次年度も同じくらいに石が出てくる。となるが、実際には確実に石礫は減少している。じゃがいも栽培の場合は植付前、植付後、収穫時と3回拾うので石の堆積場は大量の石れきがの山となる。
石拾いも5日目となると疲労が蓄積され交わす言葉も少なくなる。何か美味しいものでも食べに行きますか? 回転寿司、ピザ、パスタ、スイーツ、ラーメン、アイスクリーム、豚丼、焼き肉、焼き鳥、中華丼、海鮮丼、何食べても飲んでも北海道は美味しいものばかり!やはり北海道民で幸せです。
おやつ(モグモグタイム)には雪室で越冬熟成した甘〜いキタアカリの塩煮が出ます。カーリング娘に食べてもらいたかったですね。そうしたら在庫もなくなっていたかもしれない・・・・。
昨年の11月に台湾へ社員研修にて紹介された、中学3年生の李くんに会ってきた。日本での国際大会で活躍したそうで、3年生からはエース級の投手として練習に励んでいるようだ。日本の高校へ留学がかなわない時は大リーガー、日本球界、台湾球界へ多くのプロを輩出している地元高校に進学することが決まっているそうである。北海道日本ハムの王柏融(ワンボーロン)はここの中学出身である。
先日、日本ハムと台湾プロ野球チーム『ラミーゴ』の親善試合があったが、そのチームにも数名在籍している。その捕手とプロだとは知らず意見交換したことがあった。その高校の校長先生とも懇談したことがあるが、日本遠征を鹿追町で受け入れして欲しい旨を伝えられたこともあった・・・。うちの町では無理?でしょうと思ったが、是非来てくださいと言ってしまったのだった・・・。
そんなわけで彼の投球を見させてもらう。120〜130キロ前後の球速だと思うがコントロールが安定せずこれからかな?と感ずる選手だった。体格はガッチリしていて将来性があると感じた。とにかく走りなさい(昔の野球しか知らないので・・・)と伝えて球場を去った。
両親とも体格が良いそうで現在173cmと言っていたので、180cmをすぐ超えそうである。野球選手はお母さんを見ればだいたい大成するか予想つくそうであるが・・・。李くん、きりりとした投手らしい顔つきでした。お母さんはバレーのプレイヤーで背が高いそうだ。大リーガーになる可能性はあるので記念撮影は忘れずに撮りました。
ときにはトラクターのライトで夜間の作業も、吹雪のなかー15度Cと冷え込んだり、最高気温がプラスとなったりしながら、皆さんの協力のもと10日でほぼ・・・完成した。
炊き出しにも協力いただき、参加者で和気あいあいと美味しい昼食も皆で頂きました。
目標は火星に製作予定の氷の家(Mars ice house)目指したが・・・。地球のice houseになった。いや〜満足です。さあ〜次はこのイグルーの活用ですが・・・。次回に紹介します。
ブロック作りも4日目をむかえ大小合わせて1500個あまりを製作した。
いよいよ本日はイグルーの組み立てが始まる。最低気温ー13度で凍結したブロックを積み上げていく。
どんなものになるか完成図はあるが・・・。
昨年は大変お世話になりました。新しく『川西長いも』を栽培するようになり本年は本格的に参入すことになります。社員一同意欲を持って取り組んでいきますので、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成30年1月1日 元旦 村瀬ファーム一同
本年は12月30日をもちましてコテージの営業を終了しました。遠くはシンガポール、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナム、香港、台湾、韓国、北米、南米、ヨーロッパからたくさん来ていただき、コテージ担当の従業員達の英語力や接待もレベルアップしたそうです。600名ほどのご利用をいただき誠にありがとうございました。
来年は1月6日より営業を開始しますので、ご利用を村瀬ファーム一同心よりお待ち申し上げます。
満を持して共同企画のイグルーのブロック制作から始まった。NA**2030Mars移住計画を先取り、IceHouseの制作を実行する。十勝各地から援軍が来ていただき総勢14名でブロックを作り始めた。
まずは従業員の防寒着一式を3組、大型ソリ4台、スコップ6本など7万円で揃える。奥さんまでお昼の炊き出しに来てくれ、美味しい豚汁、2色丼を用意していただいた。
皆の目標はMars Ice House の完成目指して初夢を見ることになりそうである。
12月22日午後5時に盛大に花火が町内に轟く。無線放送を固唾を呑んで聞き入る。本日『とかち鹿追ジオパークは日本ジオパーク委員会から再認定されました!』と吉報が届く。良かった。関係者はやれることは精一杯やりましょう!と頑張った成果がでました。
発表前夜に開催された第27回幹事会では不安な気持ちと今までやれることはやってきたのである程度の手応えとが交差していた。昨夜の幹事会ではH30年度の事業計画が審議され、活発な意見が交換されていた。
個人的には審査最終日の説明(農業、観光との繋がり)がどのように評価されたか心配であった。今後も再認定の評価におごることなく課題を克服していかなければならない。一般町民が参加してボトムアップされた将来が見えてきそうです。
(日本ジオパーク委員会から発表された審査結果を紹介します。)
とかち 鹿追ジオパーク 推進協議会組織の改良によって、農業や観光関係者との連携が進み、地域住民を含めたボトム アップ運営が行われつつある。住民による新たなジオサイト候補地が発見されるなど、地域にジ オパークによる展開を担う意欲も確認された。教育面での小中高一貫教育プログラム「新地球学」 の継続にジオパークの枠組みが貢献できていないなどの課題はあるが、学術専門員の雇用など、 事務局体制の拡充に期待したい。 以上のことから日本ジオパークとして再認定とする。
2010年当時、青汁の原料『ケール』の栽培や農業の雇用情勢が逼迫してきたことに危機感を覚える。収穫作業の人員確保に四苦八苦していた。その頃に流行りだした人材派遣会社に依頼して、多い時は30名ほどの作業員を確保していた。やがて10人減り20人減り、10人の人数を確保するのも困難となる。
悩んだ末に北海道ツーリズム協会の事務局をされていたTさん(C-blanc)に依頼して農場のホームページを制作する。と同時にブログも開設して農作業風景、農場の生活など写真を豊富に使用して包み隠さず外部に発信を続けた。農場の日々の生活のなかで自然に表現された『笑顔』を写真で紹介する。個人情報ではあるが了解を得て掲載している。そうすると、日本人に限定することなく外国人にも北海道十勝の農場が理解されるようになった。つまり詳しく農場を説明する必要性がなくなり、現地に到着してもギャップが少なく、ある程度予想通りの姿であったと思う。ブログは作業日程などの見える化にも貢献している。
さらにワーキングホリデーで来た彼らがSNSで農場の様子を発信してくれるため募集しなくても自然に応募が来るようになる。今ではほとんど従業員は募集していないが、前年に定員に達すことが多くなり、沢山の方にお断りを入れる状態である。ありがたいことです感謝しなければ・・・。
こんな状態がいつまで続行するか保証はないが、これからも正直に農場風景(笑顔)をブログで発信してくつもりである。
*日本テレビ、新春特別番組『はじめてのお使い』H30 年1月8日午後7時から放送されます。村瀬ファーム全員が出演しますが孫二人が主役です。涙(;O;)涙の姉妹が繰り広げるドラマがここにあります。幸せの黄色いハンカチを用意して見てください。番組制作史上、難易度が最高峰のレベルだったそうです。
よって放送可能か検討され、頑張った姉妹に免じて放送が決定されたようです。
あるDMOと検討を進めていた冬のイベントでイグルーを制作することになった。30数年前、然別湖コタンで制作スタッフとして経験があるので老体に鞭打って頑張ることにしましょう。斬新な企画は新鮮味があって考えるだけでウキウキとした気分になる。雪原のなかで十勝産ワイン、十勝産食材を使用した料理を堪能する。
今回は普通のイグルーを計画しているが、次回は地下室付きのイグルー制作を編み出した。地面を1m堀り地層のストーリーと長芋栽培の知識をお客様に勉強してもらう。無理矢理ではなく自然にとかち鹿追ジオパークに繋げていくイベントにしたいと考える。そこでは十勝産食材で簡単なブランチ。地下室の穴蔵?には十勝、芽室ワインを保管する。
北十勝広域連携観光推進協議会による首都圏で初となるプローモション企画で、当ファームの『キタアカリ』を使用したシチューなどが披露された。十勝農園の馬渕総料理長から直々の要請があり喜んで協力させていただいた。またNHKの朝ドラも十勝の農村が舞台となりプローモションにも力が入りそうで、いろいろチャレンジする価値がありそうである。
冬の畑の中にたたずんだ時、目の前には眩しいくらいの白い雪原が広がる。遠くには鹿追町のシンボル『夫婦山』をはじめ大雪山系、日高山系がパノラマ的に見渡せる。そして雲ひとつない十勝晴れと呼ばれる青い空がある。
そんなロケーションのなか熱気球で空から散策。犬ぞりで雪原を駆け抜ける。ファットバイクで雪原を走る。そして最後は雪原のなかで十勝産食材をふんだんに使用した贅沢な食事を堪能する。こんな贅沢な極寒での体験ツアーはここ十勝でしか企画できないでしょう。インバウンドにおいては注目され評価されることではないかな?オール十勝で取り組んでいかなければなならないと考えます。
冬期間、帯広を中心とした十勝エリアは十勝晴れが続く。太陽光発電、イベント、ナイトウオッチング、アウトドアスポーツなど、何を企画しても計画通りやりやすい地域である。これを生かさなければ宝の持ち腐れとなる。皆さんで考えましょう。十勝は宝の山である。
2013、とかち鹿追は日本ジオパーク委員会より新規認定を受ける。4年目を迎えた本年、日本ジオパーク委員会の審査員による再認定の審査があった。
最終日は村瀬ファームに宿泊していただいた。北海道ツーリズム協会会員の当農場における農村ツーリズムの活動とジオパークとの関わりを理事長、事務局とともに説明する。当農場のコテージは2年前に開設以来、お客さんは一年ごとに倍増している。また約1〜2割がインバウンドであり海外に向けて鹿追ジオパークを宣伝、広めていく役割だと認識して、日々取り組んでいる。年間15名に及ぶ海外の従業員にも啓蒙してジオパークを広めている実績を報告する。まだ全員まで周知しておらずこれからの課題が多いが、伸びる要素が数多くあるのも事実である。
鹿追は上部組織がしっかりしているが、下部組織をいかに作り上げていくが課題である。この事はどこのジオパークも永遠の課題としている。一般町民が道外、海外のジオパーク大会に参加して底辺をボトムアップしてもらいたい。
審査員の方は褒めることはあえてせず、課題克服のため問題点を中心に評価されていた。次回に永遠の課題はある程度解消されているだろうか。私もジオパーク委員会幹事として決意を新たにした。
10月28日、満を持して枝豆用青大豆『青雫』の収獲を始める。仕上がり時期が遅くしびれを切らして、茎にぬめりが残るが好天に誘われて作業を進めた。緑に色づいた綺麗な青大豆は『ゆで枝豆』として販売される。
人生どんな困難にも立ち向かう決心がついていたが。何が待っているかわからない。コンバインン脱穀部の重要なボールベアリングが破損してあたりには煙がもうもうとする。私の気分はもやもや。作業を始めて30分で収穫作業不能となる。腕を組んでしばらく呆然としながら、どうやって修理しようか考え込んだ・・・。
私の技術ではかなり不足気味なので、販売元のクボタにTELをする。何せH7年製で23年目のコンバインなので部品があるかどうか・・・。ベアリングなので多分大丈夫だろうと思ったが。土曜日かつ繁忙期であったがサービスの方すぐに出張してくれることになった。クボタは機械が古くてもきちんと部品が整っており対応してくれる。国産メーカーであり頼りになる。
部品交換は難儀を極めたがサービス3人で3時間ほどの格闘で無事に健全なコンバインに復帰した。すでに綺麗な星空が見えるようになっていた。
今年7月に発足した㈱村瀬ファームの記念事業、『音のない世界うります』と題して何か計画が進んでいるが、詳しくは口止めされている。確かに農場の夜は都会と違い、静かで空を見上げると鮮やかにきれいな星空が広がる。聞こえる音といえば遠くを走る車、牛やキタキツネなど動物の鳴き声が聞こえるぐらいである。何と言っても街灯のない暗い世界が広がる。時々見える流星に願い事をするのもロマンチックな空間なのだ。柄杓を上に向けて願い事を叶えましょうと言っている『北斗七星』がくっきりと確認できる。
『音のない世界』これだけで田舎は商品になる。いいじゃないですか。こんな世界自分だけのものではもったいない。多くの人と分かちあいたいものである。
投資事業はある程度貸付金返済が一段落を迎え、来年からは余裕のある経営に戻れそうである。10人の従業員には色々苦労をかけたが感謝の言葉を申し上げたい。
今年の営業成績も近年になく良好で、皆で台灣の観光農場へ視察に行くことに決定した。今から楽しみであるが、まだビート、長芋、山ワサビの収穫作業が11月中旬まであるので気が抜けない。あと一息です。
*衆議院選挙は与党の大勝で終わったが、当選された議員さんは一様に第一次産業を元気にして雇用を増やし地元を活気づけようと訴えている。ここ十勝は『農業』が元気になれば十勝全体にお金が回り後継者や従業員が増加して地域が活性化する。若者が増えれば若者を呼び込める。移住者や観光客も増える。地域にお金が落ちる。町が活発になる。などなど。
ということで、ハート型の湖を探して然別湖に向かった。ある登山口から30分ほど登り眺めてみる。Weather newsの写真はドローンのものなのでちょっと発見するには難しいかもしれない。
下山してくる方に『これから登るのですか?頂上には20人位いますよ!』出会う方々に言われた。往復で3時間ほどの距離があるため午後2時過ぎではちょっと遅すぎかなと感じていた。
しかし、私より遅いカップルの登山者がおり、一人きりの絶景な眺めを堪能していて驚いたのであった。『どちらからですか?』と尋ねると『札幌からで山友なんです』と言った。顔がそっくりなので『兄妹ですか?』と尋ねたのでそんな答えが返ってきた。その方しきりにナキウサギの鳴き声に反応して辺りを散策する。相当、登山に慣れてる方と感じた。
『お先に失礼しま〜す』とあいさつして、素人の自分は早々に退散することにした。おっと、ハート型の湖は次回に挑戦しますか。
皆様のおかげでコテージ運営も好調となり夕食を提供するBBQハウスが必要となってきた。現在は農業用倉庫を利用しているものの大きすぎて、寒^い(壁がない)、汚い(鳩の家族が居住)、広すぎる(130坪あり)こともあり施設を建設することにした。
当然、経費節減で自分と従業員で制作します。冬期間(11月中旬〜3月末)を利用し未使用のサイロを改造することにした。地上高13mあるので屋上には天空の露天風呂(五右衛門)、展望台(農場を一望できる)。地上には円形のグリル(15席)の他、簡易宿泊施設を併設(数年後)する。建築基準法に適合するため鉄筋3〜4階建ての構造にする予定である。
写真のハウスが13mの高さにあるとイメージしている。すでに階段2箇所、煙突(排煙用として)はあるので利用できる。今までに旧住宅(s29年築)、旧牛舎(s43年築)を改築してコテージを運営しているので、サイロを利用するとすべて既存の建物が再利用されることになる。素晴らしいことではないでしょうか?って自画自賛していますが・・・。どうなることやら。
ちなみにサイロとは、タワー型の家畜の飼料貯蔵庫である。(最下段の写真で、スチールとFRPプラスチック製が主流)
日高の様似町で新規就農しているマセキ夫妻を尋ねる。4年前に当農場から様似町に新規就農し、加工用イチゴを5棟のビニールハウスで栽培している。関東向けに出荷しているそうで、現在、出荷最盛期の忙しい時に訪問した。
奥さんと二人で力を合わせて3年間頑張ってきて、貯蓄もできるようになったようである。朝5時からいちごの収穫作業を開始して11時ぐらいには終了する。午後からもイチゴの管理作業があるそうで忙しそうな日々を過ごしている。新設のイチゴハウスは町、農協から安価に賃貸を受け経営も安定しているとのこと。ここでは5戸か9戸?の新規就農者が国からの青年就農給付金を同じイチゴ栽培のため活用しているそうである。
マセキ夫妻を見て我々は恵まれた環境にあるのだから、一層頑張らねばと痛感した次第である。新ひだか町に就農している下ちゃん夫妻同様に元気で頑張っている姿を拝見出来て安心したのだった。
昼食は様似町で特産物の真ツブを皆で頂くことに。真ツブの大きさに驚き、美味しさに驚き、ついでに3色丼、5色丼を涙がでるほど美味しく頬張ることができた。
日高の様似町で新規就農しているませき君が笑顔で語る姿に喜びを感じた。3年前新規就農の目標を持って、当農場から様似町に移住した。
一度、農場の視察を計画していたがかなわず、TVで元気な姿を拝見して安心した。新ひだか町で新規就農している下ちゃん同様、行政、農協の手厚い助成金を活用してビニールハウス栽培をしている。
二十間道路桜並木を堪能した後に,当地(新ひだか町)で新規就農した下ちゃん夫妻を訪ねる。7年前、当農場で一緒に従業員として農作業に汗して働いた仲間同士であった。従業員を最初に採用した年に参加して2年ほど北海道農業について研鑽を深めた。
新ひだか町では2年間の研修期間を経て、今年の4月から晴れて独立して営農している。地元自治体などからの補助金を活用して100坪のビニールハウス7棟を新設して、ほうれん草、ミニトマトなどを栽培している。中古住宅を取得して親子3人新しい農村生活が始まっていた。
ビニールハウスでの野菜類の栽培は赤子を育てるのと同じで、常に温度管理など細心の注意を払わなければならない。天候が急に晴れ間になると、ビニールハウス内はあっという間に30度を超え作物の苗は焼けて枯死する危険があるため留守番が必要となる。一口に新規就農するといっても安易な気持ちでは務まるものではないが、何とか頑張って営農を続けてもらいものである。
トラクターが不調だということで、いつでも当農場の古いトラクターを0円で供与する約束をして新ひだか町を後にした。
今すぐ来られる方は大歓迎です。会える日を楽しみにお待ちしております。合わせて9月より農場スタッフとして働いてくれる方も募集します。ご希望の方は村瀬ファームHP内にある『問い合わせ』からお申込みください。どうぞよろしくお願いします。
今回のお客さんはフリープランでシンガポールから来ている。豆腐作り体験を希望されていたが担当が不在で、お詫びに近くの観光地を案内することになった。
彼女たちはネットで宿泊を予約し、JRなどを利用して年末から10日間ほど道内旅行をしている。1月28日オープンに向けて作業が進む然別湖コタンを見学する。台湾出身のボランティアスタッフと記念撮影。毎年たくさんのボランティアスタッフが台湾や香港などからやってくる。彼女は台湾南部の高雄の出身であった。
送迎の車内での会話で『美瑛や札幌は毎日雪が降っているのに、十勝は晴れていますがなぜですか・・?』 そう言われてみればここ十勝は天候に恵まれる好条件の観光地となっていることに気付かされる。シンガポールの二人は年齢が30代で薬品を検査する仕事をしている。月給を聞くと、日本より同等か高めであった。国土が東京23区並と狭いので不動産価格も高い。家賃は月10万円を軽く超えていた。生活費は多少高めでも裕福な生活には苦労しないと思う。『国が小さいので旅行するにはどうしても国外に出ることになる』日本へは3〜4回目だそうであるが北海道は初めて来て、今度は夏に農場へ来たいようであった。まあ、リピーター確保しました。
最後に十勝名物『豚丼』を寒さに震えながら30分ほど有名店で並んで待った。ちょっと薄めの防寒着なので寒そうであったが、初めての『豚丼』の感想は『美味しかった〜。山椒をかけると美味しさが増した』と日本の山椒を気にいってくれた。山椒は国産なのかなあ〜、中国産とのブレンドかな?。中国の山椒とはかなり味が違い、日本の山椒は香りがソフトな感じである。いつ頃から山椒の薬味を使用することになったのか気になっている。ん〜〜十勝原産の山椒を栽培してみますか! これならオール北海道産の豚丼になる。米、豚ともに北海道産を使用しているがこれは『当たり前』ですね。まるで山椒が主役であったかのようですが豚丼も完食しておりました。
十勝の名物豚丼を引き立てる薬味も大切な役割を果たしていることが理解できる。グリーンピースの代わりに十勝産青大豆(品種、青雫は中まで青い)、山椒と並んでムラセファーム産山ワサビとバリエーションは尽きない。
彼女たちJRで最終地の千歳に向かって帰国した。
1月は幻の山菜と言われる『行者にんにく』の出荷が始まる。3月まで約4000パックを札幌中央市場やしかおい道の駅、居酒屋さんなどに出荷をした。
2月、帯広地方卸売市場に初めて雪室で貯蔵していたじゃがいもを出荷した。サイズ別の選別作業は初めてのことで四苦八苦しながら行った。また毎週1〜2回、山ワサビを通年で集荷することを契約する。
3月、畑には雪が残っているなか約10ha のキャベツの苗作りがスタートする。6月末まで10日おきに90a 分の種子を順次播種する。今年の苗作りは一度も失敗することがなく完璧であた。苗が良質だったため、畑に定植してから予備苗まで成育が順調で後半に定植する畑がなくなってしまった。結果的に10月後半成育不良だったことを考えると、不幸中の幸いであった。
4月、1ヶ月ビニールハウスで育苗したキャベツの苗を定植する。7月中旬まで苗が成長するたびに順次作業が続いた。
4月末から5月上旬にかけて強い霜や大風によって砂塵が舞い、キャベツ、ビートの苗が枯れる被害が出る。
5月、季節外れの大雪に見舞われる。春の農作業(じゃがいもの播種)が遅れる。定植済みのキャベツの苗は多少枯れるが、その後の晴天で成育は回復した。
6月、2週間連続の雨や雲天により農作物の殺菌剤散布が出来ず、ラジコンヘリコプターで薬剤散布を委託する。こんなことは生まれて初めてのことです。
7月、キャベツの収穫が始まる。空前の大豊作で良質の加工キャベツがどんどん収穫されていた。しかし8月末の相次ぐ台風の上陸で管理や収穫作業が大変で、作況は豊作から不作になってしまう。
8月、1週間に3回も北海道に台風が上陸して猛威を振るった。長い期間、畑は冠水してじゃがいもなどが腐敗した。当農場では1割前後の農作物が腐敗などで廃棄された。こんなことは生まれて初めてであった。
9月、長雨のため低い圃場はじゃがいもが腐敗して皆無であり、畑に近づくこともできなかった。こんなことは生まれて初めての体験であった。
10月、遅れに遅れたじゃがいも収穫は、畑から水が引かず困難を極める。親戚、近所の方たちに手伝いをしてもらいやっと終了した。こんなに収穫が遅れたのは生まれてはじめてであった。
11月、降雪がいつもより早くビートが収穫前に雪の下になる。生まれて初めて雪の中のビート収穫をした。気温が低い時間帯しか作業ができず困難を極める。
12月、昨年の6月から開設したファームインも順調に客あしが伸びてご利用頂きました。町内外の方、旅行関係社、マスコミやグリーンツーリズムの関係者の皆さんに感謝申し上げます。来年1月1日より営業を致します。お客様はアメリカ合衆国からお迎えします。町内で犬ぞりを体験されていきます。先ほどお話をして『初めてなので楽しみです!』と奥さんが話されていた。
今朝は今年一番(-11度C)の寒さとなった。寒さに震えながら早朝7時に畑に集合して最後の出荷準備をする。堆積していた約200トンのビートを被覆していたシート5枚をたたむ。ここの圃場は直播としてはまずまずの10当たり4.3〜4.5トンの収量がありそうである。
写真の傭車として他町村から応援に来ている運送会社は知り合いだったので少しの間談笑する。昨年ビートが大豊作で今年は新車を導入してビート運搬に対応したところ、大凶作となってしまった。もう会社は大変ですよ・・・。とポツリ。地元の運送会社、鹿追**運輸は100%農協出資の会社なので業績が悪化しても銀行には頭を下げなくても済みそうだが、他の会社は銀行に管理されて大変だろうなと思う。我々農民は農産物を生産するだけでかなりの労力と時間を必要として販売、資材調達、金融については農協に委託するのがベターである。
大凶作となった農家も大変だが農家経済に関係する業者さんも多大な影響を受ける。そんなおり自民党からの農協改革。タイミングが悪すぎるし北海道農業の惨状を把握していない証拠である。自民党を選挙で勝たせすぎるとこんな事になる。自民党議員さんに-11度Cのなか職業体験をしてもらいたいものである。
NHK大河ドラマ『真田丸』がいよいよ最後の大詰めであるが。さながら自民党が推し進める農協改革で真田丸に相当するのが『農協の金融事業』ではなかろうか。
豊臣家にとって大阪城(農協)に突出した真田丸(金融事業)は無くてはならない牙城である。天下を握る徳川家康(自民党)は有利な和議に持ち込んで牙城を崩そうとする計画であろうが、真田幸村に頑張って頂いて徹底抗戦を貫かなければならない。歴史上の教訓を生かすべきである。
40年前にNZで酪農実習をした事がある。そこの牧場主が乳業メーカーの社長をしていた。世界最大の農協『フォンテラ』が結成される20年以上も前の話である。彼は『日本の農協は農民自らの組織で素晴らしい。NZにも農協を作らなければ我々農民のためにならない!』と常に話していたことを思い出す。半年の実習期間を終えて彼は日本の農協を直接見たいとホクレン、よつ葉乳業、農協などを意欲的に私と一緒に回った。当時よつ葉乳業の紙製牛乳パック『テトラパック』を初めて見て深く感心していた。NZへ持ち帰りを熱望して機密文書を入手したこともあった。海外に進出している乳業メーカー『フォンテラ』の根幹には日本の農協が手本になっていることは事実である。NZの牧場主はフォンテラ結成に尽力して執行役員を長らく務めていたと聞いている。
当時のNZでは全国的に網羅する農協が存在していなかった。農業経営を規模拡大する時などは当然ながら銀行との取引を行っていた。当時の貸出金利は30%を超えていたと思う(貯金金利も高額である)。離農跡地が発生すると銀行から高金利で資金調達をしなければならず簡単には規模拡大ができなかったようである。日本でそんなことが起こると思うとぞっとする。銀*マンに農場の畑のなかで頭を下げなければならないと思うとやるせない気持ちになる。
数年前にこんなことが現実に起こったのである。あまり詳しく書くと迷惑がかかるのでまわりくどく書くが・・・。現在は農協が一手に金融事業を農家のために展開しているので銀行に行くことなど考えたこともなかった。ある投資事業で数百万を農協に借りに行ったことがあった。農協では貸出実績がなく対応できなかったが、検討してもらえることになる。農機具、乗用車、などではクレジット会社とローンを組むことがあるが金利が高いので一番安い金利を探すと、ある銀*が安いことが判明する。
気が進まなかったが仕方がないのでお願いに銀*へ出向く。管理職の方が対応してくれる。『取引が初めてなので過去5年間の財務状況を知る必要があるので関係書類を提供していただきます。それから審査をして決定させていただきます。』このようなやりとりがあったと記憶している。かなり威圧的(こちらも引け目を感じていた)な態度で椅子にのけぞって座りこちらを見おろしていた。農協から見放されて仕方なく銀行に来ているのだろうと言わんばかりであった。とりあえず3年間の確定申告書などを提出するかどうか熟考してから結論を出すようにして帰ってきた。もう二度と行きたくないと感じた。農協に金融事業がなかったらと思うとまたまた『ぞっと』する。今も**銀*の管理職の方の顔が浮かぶ。
再度農協に相談すると、この投資事業に対して農協が低金利で対応してくれることが理事会で決定された。おそらくJA*追町が管内農協として初めてこの事業を認定したと思います。同時期にJA*室町も認定する。
海外の農家がモデルとした日本の農協。地域に密着した農協があればこそ安心して農業を営農していける環境が整う。利権が絡む国会議員に農協が弱体化されては日本農業の将来は見えてこないような気がする。農協の金融事業は真田丸にあるように大阪城のアキレス腱なのだ。
先祖が苦労して開拓した農地を銀*に奪われないように農民は一致団結して『真田丸』を守らなければならない。あなたは銀*マンに頭を下げたことがありますか? もう二度と銀*で頭を下げるのは御免被りたい。農協改革の第一歩は『組合勘定』であるが、真の目的は金庫に眠る莫大な貯金とともに『金融事業』の取り上げとお家取り潰しである。
降りましたねえ〜。2日間で20㎝ぐらい積雪したでしょうか。昨夜は雨になり雷が轟、5分ほど停電にもなる。今朝は氷点下になり雨水が氷結してスケートリンク状態になった。畑には収穫を待っているビートが4haほど雪の下になっている。
町内では120〜140haが雪の下になっているそうで、無理して収穫作業をしている農家もあるそうである。無理して掘るしかないのであるが・・・・。
明後日は雨。その後は雪の予報。小麦の冬枯れ防除もしていないので雪が融けてくれないと、来年の秋播き小麦まで影響が出てきそうである。融雪剤が届いたので散布をしましょうか。
北海道のなかで十勝、釧路、根室など太平洋側東部だけが晴れていないようだ。農作物に大切な防除作業が難儀している。小麦とキャベツは防除作業機が通路を何回も踏み固めているので作業が可能である。じゃがいもの圃場は停滞水が発生して、22 ha全部の圃場は病害虫の防除作業は無理な状態。長靴が半分ほど埋まる場所もある。
JAでは防除ヘリの委託作業を募集しているので申請した。2018年には実用化されて販売される様ですが、早急にドローンで防除作業できるものを開発して欲しいですね。
秋播きパン用小麦『ゆめちから』が開花する。
12日に晴れたのを最後に1週間雨か曇の天気が続く。今週も晴れの予報がなく、今日も雨が降っている。まさしく梅雨入りの状態となっている。
十勝中央地帯よりここ山沿いの地帯は4〜5日遅れて小麦が開花する。麺用小麦『きたほなみ』はまだ開花していないが2〜3日後くらいに開花する予定。
今年の小麦(パン用小麦ゆめちから)はほぼ不作が決まってしまった。後は主力の『きたほなみ』が開花中に少しでも晴れることを祈りましょう。
米国に本社を構えるアグロバイオ大企業『モンサント』、世界の市場の90%以上を支配する怪物企業と言われている。
モンサントの不自然な食べもの、遺伝子組み換えルーレットのドキュメンタリー映画2作品を見てきた。この2作品を見てからアレルギーがあちこちに発症したような気分になった。まだ日本では遺伝子組み換え作物の栽培が認可されていないので安心だが。米国では大豆、とうもろこし、菜種などの90%以上がすでに遺伝子組み換えが圧巻している現状である。それを飼料として食べた牛肉やバター、チーズ、キャノーラ油から日本人の体内に深く入り込んでるいることを理解しなければならない。
TPPの締結によって遺伝子組み換え作物の加工品や原料が大量に輸入される可能性もある。原産地表示の義務は切っても切れない条件となる。当局に対して日本の消費者と生産者は強く遺伝子組み換え作物は拒否しなければならないと感じた。
先日の農業新聞に気になる関係記事が書いてあった。モンサント社はついに小麦に手をかけて日本輸出を企んでいる。日本人ならはっきり『NO!』と声高らかに叫けんでもらいたい。
鹿追町農村青年会の会報『農青だより』が町内全戸に配布された。町民に対して若者たちの活動を理解していただき、励ましの言葉をかけてもらうには必要不可欠な広報誌となる。
我々が活動していたS53年頃(青函トンネルが開通)は110名を超える会員を誇った。110名のうち女性会員は10名前後であった。女性会員一人にトラック1台分の男性会員が群がると言われた時代に生きた。トラック1台とは、例えると軍用車の荷台に乗っている面々を想像してもらいたい。Getしそこなった約100名の男性会員は都会から見つけるしか結婚する方法はなかった。正直言って悲惨な状態だった。
仕方なく友人、先輩たちは本州での婚活パーティや町外出身者と出会い次々と結婚していった。仕方なくと言っては語弊があるが、農家の息子(後継者)たちにとっては不遇の時期であったことは確かである。
現在は主だった活動している男性会員は結婚してしまい、女性会員が多く活動しているそうである・・・。立場が逆転していることに、時代が変われば状況も変わるものだと感心する。
青年会では町との共同でマンゴー栽培のプロジェクトチームを立ち上げ活動している。活動する女性会員は本州出身者で占められ、地元の男性会員は少ないそうである。彼女たちは本州から飛び出し『志』を持っており、農場に従業員として数年にわたり『夢』に向かって厳しい作業に励んでいる。(もちろん体験重視で来ている方も多いと思う。)
町の活性化は若者にかかっていると言っても過言ではない。元気があって意欲ある役場職員、農協職員、農家後継者、農業関係従業員が鹿追町の活性化のため頑張ってもらいたい。我々年配者はそれをサポートする義務がある。
町内には約170名にものぼる多くの若者が農業関係の仕事に従事しているそうである。3月末になると何人かの若者たちが鹿追町を去り、新たな若者がやってくる。そんな季節になった。
本州で知名度がない山菜の王様『行者にんにく』の収穫体験と試食に来ていただいた。彼女たちは(注1)鹿追町のピュアモルツ研修制度を利用して町内の農家で1年間研修をしている。
定員は10名でほとんどの研修生が来年も鹿追に残るそうである。地域おこし協力隊、会社員、農場にそのまま就職など農業関連の仕事を継続する。先輩に当たる***に作業の指導などをお願いする。屋外はー7度Cでビニールハウスの中は20度C以上にもなる。引き戸を開閉して温度を調整する。ぽかぽか陽気に皆さん驚いていました。
さっそくお昼は定番の行者にんにくのチャーハンを大量に料理して試食する。昨晩仕込んだ『おでん』とデザートは先輩***が3年ぶりに焼いたという黒い塊?のケーキを用意した。
彼女たち、初めての行者にんにくチャーハンをお代わりしてくれ、1升ほどの米を平らげてくれた。先ほど『黒い塊』と失礼な表現を用いたが、ガトショコラでした。愛情がこもっていたので『なまらうまい!』しっとりしたケーキでした。あまりの美味しさにリクエストしたがいつ焼いてくれるのかな・・・。
バイト賃の代わりにあの有名?な『行者にんにく味噌ラーメン&餃子』を居酒屋・初音さんで食べることに急遽決定して皆で食べてきたが、やはり美味しかったのヒトコトでした。
注1,鹿追町ピュアモルツ研修制度はH10年にスタートして現在まで160名の女性が研修している。そのうち数十名が鹿追町を中心に結婚、就職等で鹿追人(道民)となっているそうである。まだ町内で新規就農した研修生はいないようである。
屋外に堆積していた雪を雪室に入れる。地面を削らないようにタイヤローダーで注意深くすくいながら30杯ほどを運ぶ。ー20度Cからプラス30度Cの温かい気温になっても雪室内は1〜4度Cの気温と90%を超える適度な湿度を当分の間保持できる。
いくら綺麗な雪を入れているにもかかわらず、溶けてくると石や土などが目立つようになる。毎年掃除するのに苦労する。
雪室内にはジャガイモ、山わさびなどを保管する。
農業と観光、2足のわらじははじめから大変だと分かってはいたが・・・。めまぐるしく変化する世界情勢に対応するには何が必要か?いや、こんな漠然としたことより簡単なことを解決すべし!
家族、従業員、農場スタッフ一同が一心同体で不退転の決意で頑張ろう!という結論に達し(当たり前なのだが、それができていない)もう一度原点に帰って『なすべきことはなす』を確認する。まず第一に以前より叫ばれている農業の基本、生産性のアップ、コストダウン、農場内の組織改革。もう一度反省することにした。きちんと仕事をしなければ成果は得られない。
第二にスタッフが協力しあって知恵を出し合い得意分野を活かして農場運営を立案する。スタッフが飼育しているダチョウの玉子に絵を描く体験サービス(講師は従業員です)。自家産農産物を利用した豆腐作り、ピザ作り、そば打ち、アスパラガス、ジャガイモ、枝豆の収穫や試食など。
北海道ツーリズム協会、北海道ツーリズムネットワークと打ち合わせを数回行う。HPは英語でも閲覧できるようにリニューアルする。ここ鹿追町はファームイン、アクティビティが連動している先進地であるが、DMO(農業、観光、ジオパーク、地域、行政などが一体となった組織)が設立されておらず、せっかく北海道ツーリズム協会が鹿追に存在しながらもどかしい活動になっているのが現状でしょうか。帯広市でも十勝アウトドアブランディング事業を立ち上げるようで、いよいよ本気になって観光客を呼びこむ体制を築こうとするようだ。鹿追町も地域おこし協力隊を活用して北海道ツーリズム協会をサポートしていただきたいと要請しているそうだが・・・。
某公営放送の番組製作会社の方が言っていたことを思い出す。鹿追町はアクティビティが充実していてほとんどのことをここで体験できるのは素晴らしい!と感心していた。ファームインで農作業体験、宿泊して町内でアクティビティを満喫する。その構図が徐々にではあるが軌道に乗ろうとしている。インバウンド、アクティビティなど訳の分からないIT用語や英語が使われだしてきて、お父さんの頭のなかはグローバル化が進行中である。
『とりあえずやれるものはやってみよう!』
ホクレンがスポンサーとなっているTV番組『あぐり王国』が放送された。ホクレンが運営している『くるるの杜』で甥っ子が担当しているイチゴハウスにての収録です。正月に会った時に今度テレビに出演するかもしれないと言っていたので、多少のノウハウを教えた。例えば、カメラを見て話してはいけない。レポーターの目を見ながら話すようにすることなど。
撮り直しはあったのかどう知らないが、ほぼ完璧に近い話した内容でした。たいしたもんです。私は何回出ても緊張しますが・・・。冬でもくるるの杜では新鮮なイチゴ(品種紅ほっぺ)が美味しく食べれるようで、みなさんくるるの杜へ行ってみましょう。
昨夜から降りだした雪に注意していたが、以外にそれほどでもなく安心している。積雪は20cm前後でしょうか。多いところでは1時間に3〜5cmの降雪があるとのこと。ここから車で1時間ほどの距離にある帯広空港は56cm(積雪が83cm)の降雪量と、同じ十勝地区でありながら大きな数字の違いがある。
鹿追町は北海道の中心部に近く、海岸線の地域と違って暴風雪には見舞われてはいない。低気圧が道東に近づいているが、雪と風は止んでいる状態である。道東地区の約230校の小中学が臨時休校になりこれからも暴風雪と雷に警戒が必要である。
それでは除雪を始めますか。
屏東市の私立高校へ国立屏東大学のR教授にお願いして視察をする。文武両道の有名校で、特に野球に関しては台湾をけん引する役目を果たしている。R教授の息子さんも特待生で在学しているそうです。
野球部の監督は元中信兄弟エレファントのプロ野球選手である。台湾では元プロの方でも簡単に高校を指導できるようである。お忙しいなか校長先生に案内されバッテイングの練習を見せていただいた。
いきなり物凄いバッテイングをしていた学生がいたので『あの子が養子にほしい?!』と思い、練習が終わった彼に近づいた。『何歳なの?』と聞く。そうすると監督(日本語が話せます)が21歳!と大きな声で答えてくれた。えっ21歳・・・?。R先生が『彼はこの高校のOBでプロ野球選手です!』と言った。今は台湾プロ野球もOFFシーズンになり、出身高校で一緒に高校生と練習ができるそうだ。この点は日本とは大きな違いである。プロと一緒に練習できる高校生の環境は羨ましい限りである。
台湾には4つのプロ野球球団があり、その中のひとつ、Lamigoモンキーズ(高雄市、屏東市が元の本拠地)の選手である。まだ1軍出場の経験はない。『バッテイングは良いのになぜ1軍に上がれないの?』と聞くと、1軍コーチからはバッテイングは1軍をクリアーしているが、守備面での経験が浅くまだ1軍に上がれないようである。加油!と言って励ました。ドラフト1位で村瀬ファームが指名したいくらいだ。
練習内容はほぼ日本と変わらないメニューだが・・・。台湾の中学、高校、大学は世界でもトップクラスの実力があると思う。プロになると世界的レベルが落ちているように感ずる。元プロが指導しているからかはわからないが、高校生らしさの機敏な動きが伝わってこないような気がする。個人のレベルは高いのだろうが『ダラダラ野球』とでも言おうか、プロの練習法をそのまま高校生に当てはめたような・・・。
どちらかと言えばアメリカ型の自由な練習風景で、日本のような組織野球とは違う。両方の良い面を取り入れているということか。素人が率直に感じたことなのであしからず。
ここの高校は台湾唯一、日本語を第二外国語として必修科目で取り入れている珍しい高校である。台湾国内の教育関係者に多くの優秀な人材を輩出しているそうで、教育関係の予算やその他の折衝は、直接、国の教育部とできるそうである。村瀬ファームと提携を結んでいるインターンシップも他の学校と比較して、破格の補助金だそうである。あんまりこんなことを書くとまずいでしょうかね・・・。
台湾プロ野球球団のひとつでは選手の半数以上がこの高校の出身者だそうです。ここの高校から大学、社会人へ進みプロとなるようである。前述の彼のように高校からプロに進む選手もいる。全国から中学生がプロを目指して入学するようである。学校の活気が我が身にヒシヒシと伝わってくる。この高校の出身者が日本のプロ野球界へ数名入団しているが、まだ有名な選手は輩出されていない。
日本へ視察の選択肢として、鹿追を選定したいことを校長先生が熱心に話された。時には野球部が海外で対外試合をするようである。ちなみに北海道日本ハムで活躍するプロ野球選手『陽岱鋼外野手』は屏東市の隣にある台東県の出身である。
また昨年大ヒットした台湾映画『KANO』も是非一度見ていただきたい。1931年台湾南部の都市、嘉義市にある嘉義農林高校野球部が台湾代表として、初の甲子園に出場して準優勝した実話の映画である。
北海道農政部から年4回発行されている農業・農村情報誌に当農場が取り上げられました。
confaは無料でいただけるので北海道農政部農政課政策調整グループへ電話、FAX, Eメールなどで申込ください。次号は来年の春号になります。
T社主催によるマレーシアからのツアー客9人を受け入れる。11月の農業体験は酪農家なら一年中メニューに苦労しないが、畑作はビートの収穫一本で計画してみた。
テーマは『ビート(甜菜)から砂糖ができるまで』と題してビート畑で行う。晴天を祈りつつ当日の朝を迎えた。11月の上旬なので相当の寒さを覚悟したが・・・・。
タッパーと呼ばれている収穫用の包丁でビートを抜き、葉を切り離しをしてみる。『危険』と言っては何もできないので、包丁の扱い方を説明して子供たちでも体験してもらう。収穫したビートをその場で輪切りにして試食もしていただく。直播のビートは甘くて柔らかく口の中に繊維などが残らいことに驚いた。『ビートチップス』でも商品化してみますか。
トラクター試乗を親子3人のグループに提供する。左の長男さんは冷静にツアーを眺めているように無口で静かであったが、俄然、トラクターを運転するとテンションが最高の状態になり、この世にこんな面白いものはないような感覚で運転を堪能する。トラクターを降りる瞬間『You are berrygood driver!』と言うと『満面の笑顔でありがとう!』と答えてくれる。『sama sama!』とマレーシア語で『どういたしまして』をこちらから言ったのだった。
彼の笑顔が今回のモニターツアーを物語っているようであった。
香港の新しい旅雑誌『東京旅遊』の取材を受ける。一昨年、香港の旅雑誌『飲食男女』に当ファームが紹介していただいたが、その時のレポーターT(蕾)さんが再び来てくれた。
11月に香港と台湾で『北海道特集』を出版するそうで、ちゃっかり村瀬ファームのコテージを宣伝してもらえることになった。
まだ海外からのお客さんが来ていないので雑誌の宣伝力に期待を込めている。
初めてマレーシアから国立大生が体験に来た。村瀬ファームを紹介した新聞記事を見て応募してきたそうだ。一昨年、香港の旅雑誌『飲食男女』の記事がマレーシアの新聞で紹介されてたようだ。
8年前に3ヶ月の突貫工事でログビルダーのSさんと建てたログハウスを使用する。写真は建設当時の写真。丸太材が手に入らず、やむなく高価な道産杉材を使用している。
その後7年間従業員宿舎として利用していたが、経営形態が変化して従業員が減少したのでファームインとして有効活用することにした。
ダスキンでピカピカに磨いてもらい6月10日にオープンの運びとなった。
農家民宿では慣れないこともあり皆さんにご迷惑をかけるかもしれませんがご利用をお待ちしております。
なを、村瀬ファーム、農家民宿のご利用申し込みはホームページよりできますのでどうぞよろしくお願いします。Facebookでも公開していますのでシェア&いいねをお願いします。
6月にスタートするファームインに向けて、従業員住宅を改装している。押入れを撤去してWベッドが設置できるスペースを確保している。宿泊するお客さんは7割が家族だそうですし詰めだが4人家族が宿泊できるベッドを置く。
今まで一人用の住宅だったが短期間なら狭い空間だが我慢してもらい、料金を下げて利用する予定。3棟ともキッチン、バス、トイレ付きなので プライベートは問題ない。
もちろん私が改装しています。
今年も二人の山村留学生(中学生)がホームスティに来ました。従業員と家族で歓迎式を行っている風景です。大阪風と広島風お好み焼きで歓待した。
今年の新しい従業員の出身は、西から広島、岡山、兵庫、大阪、三重、長野、神奈川と関西勢が多く来ているのでお好み焼きにしました。また台湾から来ている徳の誕生会も兼ねる。異国での誕生会はどうだったかな。感激のあまり咳き込んでいました?徳は2ヶ月の滞在予定でしたが4ヶ月延長する事になりそうだ。
さらにJA職員新人研修できていたI君が研修を終え、真っ黒く日焼けして農協の事務職に戻ることになった。これから38年間の農協職員としての長い勤務をするに当たり、わずか1ヶ月だが生産現場で貴重な体験を出来たと思う。いずれボデイブローのように後々効果が現れると確信している。もう少し在籍したかったようだが仕方ありません。
さらに関西から参加のM夫婦が様似町へ新規就農することが認定されて、新天地で研修することになった。夫人は町の臨時職員?に採用される予定です。鹿追では新規就農は難しいので決定してひと安心している。イチゴ栽培を中心に町と農協からビニールハウスを借り受けし、国からの青年就農給付金(年150万円、5年間)を受けて自立していく。施設整備、作業機械、土地購入など基盤整備に要する経費に対して1/2~3/4を町、農協が助成してくれる。ビニールハウス栽培は10aほどの土地があれば営農可能である。
町の活性化はいずれ彼らの若者たちに左右される時代が来ることは間違いない。
また、新しい農業者と村瀬ファミリーが増えた。ムラセファームを卒業した若者に栄光あれ!そして頑張れ!加油!
1冊1400本入りのペーパーポットを約860冊制作します。派遣会社から5人と我が家から7人合わせて12人で作業をする。行者にんにくも100パックほど出荷作業も行うので仕事配分が難しい。
今年は床土が少々湿気り気味だが順調に作業が進み、朝8時から午後5時までの8時間で4・5ha分の播種をした。作業初日でかなりの体力を消耗したので早めに就寝します。
ペーパーポットは水分で重量が変化しますが1冊40キロ前後あり持ち運びも大変である。仕事のシーズン初めとなるため、一年で一番大変な作業となり疲れもピークに達する。3日間で135坪のビニールハウスいっぱいにビートの種子が播種されたペーパーポットが並ぶ。
当然ながら農業は土を扱う作業が多い。よって都会から来ている可愛い女性でも顔が土埃で汚れ、太陽の日差しが容赦なく照りつけ日焼けする。しかしその様は農業に携わっているという実感が湧くことにもなる。泥にまみれ一生懸命に働く姿は美しく見え、また素晴らしく感じる瞬間でもある。海外や都会からくる若者はそこに農業の魅力を感じると思う。日本の食の未来は私達にかかっていることに責任を持ち国産の食材を国民に提供していく義務があって当然だ。それを応援してくれる国民が居ることを信じてがんばろうと思う。
政府が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉で、米国と連携して目指してきた早期の妥結にこだわらず、関税維持を優先する交渉戦術に転換する方針を固めたことが21日、分かった。米国が日米の関税交渉で全く譲歩しないことから、早期妥結に向け全面的に米国をサポートしてきた交渉方針を見直す。
米国は知的財産や国有企業などのルールをめぐっても要求を一方的に新興国に押し付けており、来年1月下旬に予定していた次回の閣僚会合も2月にずれ込む見通しとなっている。
政府は、次回閣僚会合前に日米協議を開き、関税交渉を行う予定。コメや牛肉、乳製品など農産品の重要5分野に関して関税維持を改めて求める。
これに米通商代表部(USTR)のフロマン代表らが「全貿易品目の関税撤廃」との従来の主張を続け譲歩案を提示しない場合は協議を「継続」とする。
その場合、次回閣僚会合では、規制改革の利点や対応策を新興国に説明するなど交渉妥結に向け進めてきた説得作業を縮小させる。
日本はこれまでの水面下交渉で、重要5分野に関し一定輸入量までは低関税率を適用する特別枠などを打診。しかし、フロマン氏は12月7日から開かれた閣僚会合でも日本の妥協案を拒否した。
交渉筋によると、閣僚会合最終日の10日に発表された合意文書にある「実質的な進展」は、すべて新興国側の譲歩だという。
各国の交渉官の間では、フロマン氏に対し「話をまとめられない素人だ」との批判も上がっている。
安倍晋三首相は20日のテレビ東京番組で「国益を守るために妥協はしない」と強調。米国が一方的な要求を続ければ、次回閣僚会合でも合意形成が先送りとなる可能性が高い。
北海道の生産者を代表して村瀬裕志氏は20日のNHKの番組で「主導権を握ろうとする米国に対して日本側も強い姿勢で交渉に挑んでいただきたい」と話した。
8日間に渡って初の台湾出張をしてきました。台北到着後すぐに板橋の夜市にでかける。遅い時間にもかかわらず台北在住の5人が集合してくれた。
12時になってもにぎやかに人出があるが出店では酒を売ってくれません。それでコンビニで台湾ビールクラシックを購入してホテルで飲む。サッポロビールクラシックに似た味でアルコールは5%と控えめであり飲みやすい。後日、札幌ビール発祥の地、札幌ファクトリーで台湾ビールクラッシックを製造した担当者と懇談する。道理で味が似ているはずだと思った。その方「私が指導しました!」と嬉しそうに語った。もちろん北海道では欠かさず飲み会にはクラシックが必要不可欠になった。
明日から1周間かけて台湾を1周する予定だ。気温は20度前後で過ごしやすい。北海道の人間は半袖でも寒くはなかったが・・・。
今回の最大の目的は台湾の食事情に触れることにある。また食に携わる人材(元従業員を介して)と知り合いになるのチャンスもある。詳しくは触れられないが台湾全土を見てみたかった理由がそこにある。
すさまじい外食チェーンの展開には驚かされる。朝・昼・晩外食する習慣の台湾で、我が農場の農産物は受け入れられるスペースはあるのか? その形態は様々で1週間である程度収穫でき、本州を飛び越えて台湾へ進出する手応ては感じた。有力な方々との交流の中でわずかにしか商談の話はできなかったが頭のなかでは「イケる」と思った。
さあこれからどうするの?さあ考えよう!私のオツムの中ではプランが大まかではあるが「整いました」。私の家族は単なる旅行だと思われているようですけど・・・。
詳しくは後ほど。
臭豆腐は2つ目でリタイアした。最初のアンモニア臭に似た匂いがどうもだめだね・・・。
生産者と語ろう! 畑からあんこができるまでの体感ツアーを開催する。企画は「いただきますカンパニー」井口代表から話があり、前々から興味があったので二つ返事でお受けした。
ほまれ大納言小豆は今年初めて栽培を行うため特性を理解するためにも必要なイベントになった。普通小豆、白小豆、との食べ比べを実施する。パン、フルーツ類、カボチャなどでフォンデュのようにして頂く。ツアーの皆さんで大納言を収穫し、直ちにあんこに加工して食する。斬新なアイデアで感心した。
大納言の評価は? 大粒の食感と豆らしさが伝わる風味豊かな味わい。参加者の意見は断然「ほまれ大納言小豆」に軍配を上げたのだった。
主催してくれた鹿追町商工会の皆さん有難うございました。 本来「農協」が主体にならなければならないが・・・・。
本日よりジャガイモ掘り体験付き修学旅行が始まった。今回は東京の私立中学校の皆さんで毎年来ていただいている。
栽培している農作物の現物を見せて簡単なクイズなどをだす。「このジャガイモ畑の畦の長さはどのくらいあるでしょう?」 「この作物は何でしょう?」「このビートからどのくらいの砂糖ができるでしょう」「台湾のお姉さんは何歳でしょうか?」などセクハラまがいのきわどいクイズも興味があって集中してくれる。
10キロのダンボール箱に自らジャガイモを掘ってもらい自宅に送り届ける。その後はジャガイモの塩煮(よつ葉バターと共に)とよつ葉牛乳を試飲試食をする。
体育会系の子供たちなので礼儀が正しく食欲は旺盛だ。10キロ用意したじゃがいもと8リッターのよつ葉牛乳はあっという間に消費してしまった。美味しく食べてもらうとこちらも気持ちが良いです。
香港メディアの取材陣も撮影に参加してもらう。一年ぶりの修学旅行は好天に恵まれ良いスタートを切れたが、ケールの収穫スタッフをこちらに回したため午後5時半でも契約収量(一日9トン)に達せずトラックを見切り発車せざるを得なかった。
雨天時は倉庫の中で体験を行う。畑で掘れないために大型コンテナに入ったじゃがいもを箱詰めしてゲームやクイズなどをして楽しんでもらっている。
体験が終了して観光バスが去る時は従業員全員が横一列になって手を降ってお別れする。
今日はある町のJA青年部16名の若き農業者が視察に来てくれました。息子と同じ年代の農業後継者で構成されています。台湾、香港のスタッフもパンフレット配布など手伝いをしてもらう。あいにくの雨でしたが視察の時間になるとピタッと雨がやんで少し晴れてきました。
農場の説明では新規作物の栽培の取り組みについて重点的に話す。H17年から栽培しているケール、イチゴ苗、サツマイモ、行者にんにく、カボチャなどを順番に説明した。新規作物の収入は全収入の3割に達していることを伝えた。
施設見学ではH22年に建設した雪を貯蔵している雪室を見ていただいた。また圃場ではケールの収穫を見て頂く予定でしたが配車がなくなったので導入のきっかけや栽培の難しさなどを説明する。視察に来てくれたJAではパン用小麦「ゆめちから」の栽培には取り組んでおらず「ゆめちから」について興味を持たれていたようだ。
今年は視察が多く、ある町の酪農部会、他の青年部の方々が来られるようになりそうです。酪農部会については職種が違いますがTPPに向けての取り組みや新規作物についての話を聞いてみたいので、という目的で来られる。うまく話せるかやってみないとわからないので挑戦することにした。
このたび村瀬ファームウェブショップをオープンしました。
昨年9月に収穫したじゃがいも「きたあかり」を電気などを一切使用しない自然エネルギーを利用した雪室で8ヶ月間「雪室低温熟成」したじゃがいもを販売します。
是非一度ご賞味ください。
すぐ融けていますが猛吹雪です。午後から仕事は急遽休みにしました。う〜ん寒〜いです。
最低気温がー3℃と朝起きると1cm近く水たまりが凍っています。最近寒さが続いて早まりそうだった春の仕事が足踏みをしています。
産地収益力向上支援協議会主催によるパン用小麦粉『ゆめちから』意見交換会及び試食会が鹿追町民ホールで開催された。あわせて鹿追産ゆめちからの小麦粉も販売会が行われた。
長年の試験栽培を経て今年から本格的栽培になり鹿追では全面積の3分の1に当たる550haで栽培されています。まだ収穫はしていませんが農家によっては全面積播種したい意向のある方もいます。2種類の小麦を収穫するのは非常に面倒だからです。いっそのこと『ゆめちから』で心中する覚悟で麦作集団ごとか全面積にしたらどうでしょうか?
基調講演では『新品種ゆめちからの評価と今後に期待するもの』と題して、江別製粉(株)常務Sさんのお話があった。試食会では8店舗(西十勝中心)のパン屋さんが色々なブレンドを組み合わせてパンを出店していました。
生産者、流通業者、パン工房の大きく分けて三者が集い意見交換会ができることは『ゆめちから』を先駆けて栽培している鹿追農協ならではの取り組みです。
Conntory Blanc(芽室町)さんでは3年前からゆめちからの小麦粉を使用しておりすごく気に入っているとのことでした。菓子パン、食パンには最適な粉であると評価されていた。
鹿追産ゆめちからの小麦粉は『Aコープしかおい』と『食創』等で取り扱われています。Aコープ鹿追では500g、280円で販売されています。流通業者としても輸入小麦粉と比較して10%〜20%高くらいであれば、十分輸入小麦に対抗でき給食等に販売できるとのことでした。補給金等あれば不可能な値ではないと思います。
小麦の種子育成は北見農試が中心でしたが、『ゆめちから』は地元十勝農業試験場で育種された品種で肥沃な十勝に適したパン用小麦です。十勝の農協は導入に消極的で様子見に徹っしていますが鹿追農協ではリスクを承知で取り組んでいます。何とか十勝が主産地になってほしいものです。また鹿追産のゆめちからの小麦粉が真っ先にブランド化してもらいたい。
このイベントの模様は明日22日午後12時15分頃NHKで放送されるらしいです。ご覧ください。
雪がほとんどなくなっていた雪室へ50トンほど補充を完了する。雪室内は1〜2度Cに保たれています。貯蔵しているジャガイモはきたあかり、男爵、メークイン、はるか、シャドークイーンなど10トン前後あります。
4月より『雪室熟成じゃがいも』として市場と村瀬ファームネットショップで販売する計画です。
今年は豊富に雪があるため奇麗な雪を搬入することができた。この白い雪も溶けてくるとゴミだらけの黒い汚れた雪に変化します。
今年の正月に元営林署に勤めていた叔父が真顔で話し始めた。この雪室をはじめたのは私なんだよ!えっと返事をしてしまった。ロシアの生物学者イヴァン・ヴラジーミロヴィッチ・ミチューリンによるヤロビ農法からヒントを得たそうだ。初めて聞く人物だったので興味深く聞き入った。
最初は苗畑で樹木の苗を生産していた関係から残雪を利用して山中の雪の中に苗を貯蔵したそうである。成育を促したり開花時期を自由に調整(春化)できるようになった。2008年北海道洞爺湖で行なわれた第34回主要国首脳会議(通称洞爺湖サミットG8)でこの技術が利用され7月なのに桜の花を咲かせて各国の代表を迎えたそうである。まったく知らなかったので感嘆するばかりだった。
日本での雪室の創始者が叔父だとは驚きだった。この技術に対して林野庁長官賞か農林水産大臣賞?を頂いたそうです。現在は農産物貯蔵に利用されていることに喜びを感じているようでした。ルーツはロシアですか・・・。
今年度の村瀬ファームの納会を地元然別湖ホテル福原にて行った。もうここは真冬です。湖の結氷はまだですが写真のように10cmほど積雪しています。昨年は隣りのホテル風水でしたのでH24年度はもう一軒のホテル福原にすることにしました。
すでに3〜4人が農場を離れ、息子一家は京都に帰省中で残ったメンバーで楽しく1泊させてもらった。
夕食ではなく朝食の膳です。閑散期で宿泊客が少ないのでバイキングではないのですがこれも豪華でいいですね。飲み物は好きなものをチョイスできます。
来年は海外に行ける業績になるだろうか。今年の反省をふまえて頑張らねばと思った瞬間でした・・・。
追伸。りえママ様パパ様へ。ついにご挨拶に行くことになりました。近日中にお伺いします。
今日は良い夫婦の日です。この動画はブログのみ公開しています。
最後の修学旅行生が神奈川県より来てくれた。あいにくの台風の影響で大雨に見舞われ雪室内でジャガイモの箱詰めとなった。
畑で体験すると1時間半の時間を要する。今回はあまりにも時間に余裕があるため苦肉の策?としてジャガイモの重量当て選手権を行った。賞品は「柳月」のお菓子を贈る。ついでに?じゃんけん選手権も行う。また恒例になった従業員の年齢当てクイズはおもしろくてやらざるを得ないことになった。
悪天候のため15名の従業員全員で体験をサポートした。
全員揃ってバスをお見送り。O高校の先生に帰り際「こんなに良くしてくれる体験農場はありません!」と喜んでくれました。
この言葉を大切に胸にしまい込んで来年も頑張らねば!と思った。
町内の農業関係者が一同に集い農民運動会が行われた。赤ん坊からご老人まで老いも若きも参加する。
午前中に競技が終わり午後からは鹿追産牛肉でバーベキュウ。懇親を目的に誰でも参加できる種目を用意している。
バーベキュウの合間に小麦粉のなかにあるチョコを探し出すゲームを真剣になってやっています。笑いがあり賞品もたくさん出るのでついつい一生懸命になります。
今日は十勝地区農機具中古市に出かけた。従業員15人で希望の農機具に挑戦した。希望者が多くて残念ながら抽選には当選はしなかった。
お目当ての農機具に希望者が多いと10人単位でひもを使って抽選が行われる。70人希望者がいれば7人が決勝の抽選に進出して最後の一人を選ぶことになる。案外ドキドキ感があり緊張する。
昼食後はウエモンズハートでソフトクリームを食べ、ボウリングとカラオケ大会を行った。楽しい一日を過ごしたが・・・・事件発生!
『午後7時頃、帰宅寸前になって携帯が鳴った。お父さん車に乗り遅れました!』と従業員の一人から半べそで電話がきた。
2台の車で行ったのでお互いにの車に乗っていると勘違いしていたのが発覚。そして運悪く携帯を部屋に忘れて連絡が遅れたようで自宅に着く寸前だったが1台は迎えに戻ることになった。悪いことに私は帯広での会議を忘れていて連絡が来る。仕方ないので途中で皆とわかれタクシーで向った。
6月12日のニュースで英国キャメロン首相が8歳の娘をレストランに置きざりにしたと報道されていた。これも2台の車に分乗していて乗せているとの思い込みであった。英国首相でも起こりうるのであればたいしたことではないのか・・・・
先日3月3日の北海道新聞十勝版の記事である。当JA鹿*町は事業分量配当金、期中還元、手数料割り戻しなどの配当金が他の農協からは多いと聞いていたがダントツで全道一とは知らなかった。いままで当たり前と思っていたが・・・・・。
配当金で一番多いものから肥料売り上げに対して約10%、、農機具売り上げに対して3%、農薬に対して1%など年間3回に分けて組勘に振り込まれる。他の農協は内部留保、税金などの理由で組合員に配当を拒んでいるようである。農協を利用することによって利用額も増え配当金も増える。職員もいかに利益を上げて組合員に還元できるか意識向上と農協の役割を考えるうえで大切なことだと思う。(数字は見直しがあるので変化します)
また、農協の利用手数料が高いか?というとそうでもない。十勝管内のなかで安い方に属する。農協配合の肥料、燃料、農薬などの資材類も一番安いかもしれない。かといって職員の給料が安いか?といったらまったくその反対かもしれない・・・?農協出資金の配当も出資金に対して1%の配当が数年前から実施されている。貯金の利子よりはるかにお得である。出資金は株と貯金を兼ねたもののようだ。(私個人の感想)
村瀬ファームは昨年度の配当金は有機肥料の取り扱いがないので200万円弱の金額になっている。農家戸数が220戸で配当金1億9000万円なので、1戸平均80万強の金額となる。ほとんどが12月の年末にボーナスのように組勘に振り込まれるのである。鹿追より大きな農協が十勝にはたくさんあるがボーナスが少ない組合員が多く存在することがわかってきた。内部留保によって損失する税金(所得税30%らしい)の差額10%を還元してもいいと思うが・・・。(税金についてはよく理解していません)
JA鹿*町は税金(所得税20%)を支払ってでも組合員に喜んでもらい正月を楽しんでもらう配慮がなされているのである。鹿追町に生まれ育って良かった!!!
先日JA鹿追町など関係機関などによる試食会及び講習会が開催された。
道農政事務所、十勝農業試験場、道農業研究センター、(株)満寿屋 杉山社長さんなど5名からの講演があり、その後「ゆめちから」を使用した料理の試食があった。
超強力粉「ゆめちから」は基本的にブレンドであるが100%でももちもち感があり、これがうけると思う。写真のデニッシュは一押しである。終了後、杉山社長と名刺交換もでき少し懇談もできました。
また、パスタ用の粉として使用しているレストランもあり、今後は家庭でも気軽に地場産手作りパスタが楽しめることになりそうだ。
最近は米粉も使用できるホームベーカリィーを購入したのでたびたびパンを食べる機会が増えた。自家産のサツマイモをペーストにしたパンですが、強力粉は輸入品である。
従業員のAさんがパン教室で焼いた食パンをいただいた。「ゆめちから」50%、「きたほなみ」50%をブレンドしている。もちもち感が少し残っており食パンとしては丁度良い配合なのでしょう。私はゆめちから100%の方が好きです。
帯広のパン教室では山本忠信商店製の粉を使用しているそうである。JA鹿追町産製の強力粉はこの世に供給されるのであろうか?
今回はイチゴの研修で視察に九州に来た。JA島原雲仙は1市16町村が合併した組合員2万8千名を超えるとても大きな農協である。農産物販売高は281億円であり(鹿追町は169億円でうち畑作は45億円)、販売高の多い順からイチゴ、馬鈴薯、大根,子牛、人参、肉牛などになっている。イチゴは約4分の一割合で主要農作物ある。
写真はK農場の4連棟イチゴハウスで17aあり約20列の苗は15000本、全部で47aを経営しているそうです。北海道産の苗は原種として増殖し使用しており、現在2番花が赤く実をつけています。同時に3番花が開花して3月頃収穫となり、5番花は5月の収穫で終了する。その後は裏作としてゴーヤ、小玉西瓜などを栽培するそうである。電球を夜間点灯して株の生育を早めるそうだ。今年は低温が続き実が黒くなったり、奇形などのような低温障害(寒害)が多かったようです。
今年の冬は全国的に寒いと感じた。
他町村に先駆けて新品種、超強力粉「ゆめちから」の栽培がはじまる。昨日は麦作集団連絡協議会の集団長会議が開かれ活発な意見交換が行われた。道内有数の小麦産地「十勝」で取り組むJAがいないのは驚きである。SBの孫さんばりの表現で言うと「なんともなさけない!」とでも書こうか。全道共計販売の壁もありどこで生産しても北海道産になるので様子見のJAが多いのでしょう。先んじて取り組んでも試金石だけになりかねないかもしれない。(鹿追以外では清水、木野農協が遅れて名乗りを挙げる)
収入の試算は。現在栽培している「きたほなみ」と同等の収量と仮定した場合、1等は無理なようで2等建値で歩留まり率を上げるとほぼ「きたほなみ」なみの収益がある。それに中華麺用小麦栽培促進費1俵当たり2550円がまるまる多く収入として見込める。10俵/10a当たりの収量があれば、2・5万円/10a当たり、集団では70haあるので1750万円の増収となる。「きたほなみ」導入時のケースとは大きく異なり「ホクシン」導入時のケースと似てきている。
「きたほなみ」の栽培技術が先行しているので最初は差が生じると思うが、いずれ「ゆめちから」の技術も追いつくでしょう。仮に同じくらいの収入になったとしても「売れる小麦」を考えた時、製粉業者や消費者がどちらを選ぶか一目瞭然である。損得抜きに「ゆめちから」は栽培しなければならない。
今年は新品種「ゆめちから」を550ha栽培する。鹿追の小麦面積は1600haのうち約3割が超強力粉「ゆめちから」になる。失敗したっていいじゃないか。また来年がある。
昨日の会議で栽培を拒否する意見があった。我が集団はこれから話し合いをするが相当数「ゆめちから」にすることにしている。余った種子は全量引き取って播種する覚悟だ。
将来はパン職人さんのために村瀬ファームブランドの「ゆめちから」を供給する計画である。「ゆめ」の「ちから」を確立する超強力粉の出現に種子を播種する9月が待ちどうしくなった。
恵まれた十勝で農業を営むことに満足せず「ゆめちから」を売り出しましょう。
もし食料の輸入がストップした場合、熱効率を最大限2020kcalした場合の食事例である。米、じゃがいも、甘藷が中心とした食事になると農林水産省では予測している。予測ではなくこうならざるを得ない。戦後まもないカロリーベースに落とすと国産品でほそぼそと食生活ができることになる。
しかし、じゃがいもは採算性、生産性を上げるには最小限の農薬が必要だが、サツマイモは無農薬、無化学肥料栽培が容易に可能である。そこに注目する北海道農業者がどのくらいいるのだろうか。。。。これからの農業は多岐にわたって想定しなければ。環境に優しい食料生産と供給の責任が農業者にもこれから重要になってくる。地道にするしかない。この話は数十年後に現実になるかもしれない。
今年も神社係で午後11時半から年が明けて午前2時頃まで北鹿追神社の詰め所にいた。例年にくらべてお参りする人が少なくわずか4組だけでした。
雪室に貯蔵しているキタアカリという品種のジャガイモです。私が一番好きなジャガイモです。目の部分が赤く料理するとしっとりした甘みのある味がします。カレーでもいいのですがシチュー、ポテトグラタンやポテトサラダ等にすると素材の味がわかり、やはりキタアカリはおいしいと感ずる。まだ雪室には雪を貯蔵してませんが4〜6度の適温が保たれています。
今年も試験貯蔵のため来年から本格的に雪室を稼働する予定です。試験ですが男爵、メークイン、キタアカリの3種で7トンくらいを貯蔵して道の駅やA-coopで少量ですが販売しています。
秋播き小麦は冬期間に雪の下で雪腐れ病にかかる。そのため根雪前に殺菌剤を散布する必要がある。今時の農薬散布機(スプレイヤー)はGPSで塗り絵のごとく散布したところが色がついてわかるようになっている。次に散布する場所を指定してくれるので長さを測ったり目印などをする必要がなくなった。便利になったものだ。
来春に雪が溶けて青々した小麦が見れることを祈って。昨日はスプレイヤー本体製作会社のイギリス『ナイト社』の社長がクロダ農機の社長の案内で当農場に訪問されました。奥さんが隣町の出身で里帰りしたついでに様子を伺いに来たようです。
将来、長芋作付けも視野にいれハイマスト仕様にした。最大3m50までスライドブームを上げることができる。型式はクロダ農機ハッピー4000、スイッチだけで簡単にズームで車幅を変えられる。最大2・3mで最小は2.0mが可能。薬液タンクは最大で4350Lが可能。タイヤは32インチから36インチに変更。ここに挙げたのは特注でお願いした。ただひとつの失敗は車重の増加でエンジン馬力が少々足りないかもしれない。(今のところ大丈夫です)
圃場に堆積された約250トンのビート。540mの圃場の両端に堆積します。運搬はJA鹿追町が100%出資している運輸会社が15トンの大型ダンプトラックで10分以内ぐらいに積み込みを終え、15km先のホクレン製糖工場に運んでくれます。その他ふたつの地元民間会社も参加して4グループ体制で運営しています。
今年はビートの粒が乾燥地の土壌だと大きいが糖度が15%前後とかなり低い状態です。これから1%前後上昇するでしょうか。糖度が上昇しないと手取りの金額が大きく変化します。
9月14日から播種がはじまり最終は写真の10月10日に終了した秋播き小麦です。こんなに遅く播種したのは初めてでどうなることやら。来年の春に生き残っていることを祈るばかりです。朝7時に撮影。気温4度C。いつものように美しい夫婦山が見えます。
#H24年のこの圃場の成績が出ました。我が家の小麦製品収量は平均10.3俵/反当たりでした。10月10日播種のここの小麦は9,5俵で町平均の収量並みであった。追肥はがっちり投与しましたよ。結構収量が上げれることがわかりました。
秋の収穫作業の様子ムービーがアップされました。
針葉樹合板を張っただけの簡単事務所が外観だけ完成した。所内は何も設備がないのでこれから来年に向けて整備をする予定。ブロックの外壁がむきだしのため周りの景観にマッチするよう木目色模様に塗装します。20人ほどが生活する村になったので環境整備もしていかなければなりません。次男の住宅を敷地内に新築することも決まり資金不足に陥りそうです。JAバンクが低金利で貸してくれますので。。。心配ありませんが20年から30年ローンの支払い期間は大変ですね。
6月上旬にはじめて播種した生のピーナッツ。いま黄色い花盛りだ。遅い播種だったのでちゃんと実るのか心配ですが、そこそこ生育しています。北海道にはあまり見かけないので地上にピーナッツが実ると思っている人がかなりいます。ピーナッツと落花生は同じと思うか長女に質問したところ「質問している本人がわからなくなってしまったというか自信がなくなってしまった。」「なにせ落花生が見たことないので未知の作物です。」
品種べにあずまがいよいよ生育旺盛になりつるが伸びてほぼマルチを覆うようになりました。昨年より生育が2〜3日早いでしょうか。草抜きをしただけで何もしないまま10月の中旬の収穫を迎えます。かなり期待できるでしょう。
牛舎の取り壊しでコンクリートの山を再利用するべく粉砕するマシーンが登場。40ミリにコンクリートを細かく粉砕できるそうで凄まじい音と振動があたりをゆらす。寝ていた従業員は強い地震だと感じたらしい。これもエコなマシーンだ。従来は廃棄物として捨てていたものを再利用できるのだからすばらしいことだ。国はこんなエコな機械にどんどん補助を使うべきだ。天下りお役人の一人の給料の数ヶ月分もあれば一台買えるのではないだろうか。
昭和44年建設の40頭牛舎を老朽化のため取り壊しが始まった。当時としては近代的なパイプライン式搾乳機4台を導入し酪農専業となった。視察も受け入れしていたことから他にさきがけて経営していたと思う。しかし昭和57年に廃業してから屋根を支える支柱がほとんど腐り、電気の配線から漏電しているなど危険が増したので残念だが取り壊すことにした。
適度な雨と暖かい日差し。農場中央にある芝生がいつになく青々としています。毎週私が芝刈りしているがこんなに成績が良いとやりがいがある。仕事が終わって寝そべり物思いにふけるのが好きだ。名案が浮かぶ時もある。
6月20日頃から開花が始まり28日に最盛期を迎えた。 最終の殺菌剤散布を終わり8月上旬の収穫を待つばかりになった。鹿追は山麓地帯のため帯広、芽室などの十勝中央地帯より4、5日から一週間おそく収穫が始まる予定だ。栽培条件は中央地帯より不利だが栽培技術の指導と農家の努力で何とか中央地帯に匹敵する結果が得られている。
なかなかカルチ(二チノー草カルチH18年製)入れをするチャンスをのがしているうち、ビートがすっかり成長して大きくなってしまった。 時折小雨が降る中、土がしけっているため最後尾のかごローラーに土が満杯に詰まる。そんな悪条件でカルチ入れをしなければならない。今年の天候には泣かされる。(ヰセキTJ105使用、H21年製)
昨年あみだした方法だ。 雨が降ると仕事が休み(ケール収穫以外は)で電話をするのが大変である。 寝ている従業員もいることから母屋の窓に張り紙をして各自見てもらうことにした。 今年は雨ふりが多く休みばかりで威力を発揮している。 雨降りに仕事着を着て出てくる従業員がいたので「なぜ?窓を見ないの?」 と言ったがこのシステムを説明していなかった。 4月の従業員は全員新人さんでした。
先日、従業員がおいしいですよ! と買ってきてくれた白糠町酪恵舎のイタリアンチーズがこれだ! 今までお目にかからなかった味で簡単に表現すると美味しいの一言だ。 また産業廃棄物だった製造過程に出るホエーを使用していることに感心する。 私たちが子供の頃良く食べていた牛乳豆腐の独特な臭みがなくなったような味である。(あくまでも個人の感想です) あまりにもおいしい!を連発したら当農場に私が製造していますとわざわざ足を運んでくれました。 こんな美味しいチーズにめぐり会えたのも何かの縁と話が弾みました。 Aさんありがとうございました。
一度食べてみてください、驚きますよ!
ビート移植と同時に苗が移植されていないところに人手で苗を補植します。 アルミ製の軽くなった筒の中を苗を落として土中に入れていきます。 従業員は初めてする作業で慣れたころには終わってしまいます。 そして次の新たな初めての作業があり、それを繰り返していくので変化があって良いかもしれません。休憩の時間は専用のワゴン車でゆっくりお茶やジュースを飲んで和気あいあいと一年が過ぎていきます。
今日は雪室に貯蔵している馬鈴薯(キタアカリ)をビート糖と塩ゆでしたものがでました。 あまりのおいしさに3個、4個食べてみんな満腹になり晩御飯が節約できそうでした。 特に中国研修生は塩ゆでして食べる習慣がないようです。おいしいを連発していました。 また女性従業員二人はジャガイモを水から茹でることを知らなかったようでおいしい塩煮を食べてないようでした。
義弟が市町村議会議員選挙に出馬し、多くの方の御協力により当選させていただきました。 新人として初めての出馬であり慣れない事もあって大変だったと思いますがこれからが大変だと感じています。
1期4年を精一杯頑張って恩返しをしていただきたいと思います。 当選祝賀会は家族全員で参加させていただき朝の4時頃まで皆さんで祝ったそうです。ありがとうございました。(写真は本文とは関係があります)
種イモをミニコンテナに詰めています。今年度は600俵の種イモで約16ha栽培する予定です。そのうち男爵は半分以上の9haを予定しています。昨年度は不作だったため1俵当たり4300円にもなり最近では最高額となりました。今年新しく従業員になってもらったAさんは昨年度鹿追町産業研修生としてM農場で研修をしていました。 M農場では種イモを生産しておりAさんも種イモの管理から収獲までたずさわっていたのです。 その種イモが当農場に届いたのです。 つまりAさんが掘り取った種イモが次の年にAさんがまた違う農場で植え付けすることになったのでした。 これは大変珍しいことであり、今年は何か良いことがありそうな予感がします。 ねえAさん・・・・・・・。
恥ずかしながら はじめて町の環境保全センターを視察した。 昨年、農業実習にきていた大学生がゼミの参考にと我が家に遊びに来てくれたので同行した。 日本最大級のバイオガスプラントであり、町からの補助金など、14戸の農家で運営され余剰金を出すようになってきたそうです。 また国内のガスプラントの中で数少ない成功例の一つだと自負されています。 円形の発酵貯留槽は直径67メートルあり世界最大級だそうです。 丁度ソフトボール場のサイズです。大学生のMです。はじめて見ることや知ることばかりでびっくりしました。さすが、日本最大級だ!と思いました。
大学生Aです。バイオガスプラントのことはあまりよくわかってなかったのですが、今日行って説明してもらったり施設を見せてもらってたくさんの発見がありました。電力、肥料以外にも温水や車の燃料になるということが驚きました。これまた日本最大級のJA鹿追町コントラ課にも赴いた。こちらも事務所以外を初めて見せてもらった。 一台セットで5000万円するハーベスター6台を所有する農機具庫に案内された。いままでのジョンディア社は金属探知機しか装備されていなかったが、クラース社のハーベスターは石感知器が装備されており故障することがなくなったそうです。 小麦用コンバインもいずれそうなるかもしれないと思いました。新品のクラース社製ハーベスターに乗りご機嫌の二人でした。 しかし、鹿追には全国に誇れることがあまりにも多いと今回は感じた。地元に居ながら日本最大級の施設や思想等ありながら直接触れていない事に今更気がついた次第です。 鹿追に生まれ育ったことを感謝したい。 反対する意見や協力されなかったこともあったかもしれないがやりとおす力量といおうか実行力は全国に発信してもはずかしくないことである。 失敗をおそれず取り組む姿勢が大切だと思う。 そこにはサポートする鹿追の町民のすがたが象徴されている。
積丹町のS氏より電話があった。 実に34年ぶりに声を聞いた。 気には止めていたがなかなか連絡が取れずいつの間にか年賀状も失礼してしまい、音信不通になっていた。 彼はたしか農協職員であったとおもうが早くに退職して農業に新規就農をしたという。 現在は息子さんが後を継ぎ和牛と野菜の複合経営をしている。 東京の生協やラディッシュボーヤ(元キューサイの子会社)と近所の農家とともに契約しているらしい。
34年前、ホクレン畜産酪農海外派遣研修事業でNEWZEALANDに二人で参加した関係だ。 S氏は北島のNZ最大都市オークランドの酪農家に、私は北島のNZの首都ウエリントン近郊の酪農家でそれぞれ半年間研修をした。 そして休暇をもらい二人で地震があった南島の観光地をめぐり、クライシストチャーチの大聖堂も見物したのだった。
今回の地震でその大聖堂が崩れた状態は少なからずも半年間生活した国が被災したことは他人事ではない。 Sさんもいてもたってもいられず104番で電話番号を検索して連絡をくれた。 地震の少ない国だと思っていたがプレートがはしる地震国だとはわからなかった。
34年前のS52年、NEWZEALANDの雇い主夫妻が我が家に遊びに来ることになり、急きょ住宅を建築するこになった。
住宅が完成し引っ越し段階になって問題が浮上した。 猫を連れていくか行かないか? 私たち子どもたちは絶対連れて行くと主張。両親は駄目だと主張。2・3日話し合いが続いたが結論はでなかった。私のひざもとでその会話を聞いていた猫がいなくなったと思ったら階段をころげおちる大きな音が響いた。 あわてて階段の下を見るとかたわらにいた猫が横たわっていて即死だった。 15歳くらいになる老齢の猫で我々の会話を聞いていて自殺したのだった。 「もう十分生きたから世話はかけないよ!」「天国に行きます」と投げかけるように旅立っていった。
その猫の名は「ミヨン」 それ以来我が家の猫の名前は「ミヨン」なのである。
今朝、昔の彼女の夢を見て目が覚めた。 思い出した。 苦い思いが頭の中をよぎる。
今から30年前畑を耕作しながら乳牛を40頭~50頭飼養していた。S43年に当時としては大規模な40頭牛舎を建設し最新式のパイプライン式搾乳機を導入した。 ところが少しづつ畑作物にウエイトを移行してS56年を迎えたある日。 1頭がケトージスという病気にかかりビール瓶にとかした薬を飲ませようとした。がなかなか飲まないので頭を固定して無理に飲ませてしまった。 すると気管に薬剤がはいり間もなくその牛は死んでしまった。 倒れてから荒い息使いをする牛にゴメンナを繰り返したが少しづつ呼吸する力が弱くなり最後に大きく深呼吸をして息絶えた。 死んだ瞬間を看取ったのははじめてでショックだった。 30分もしないうちに40度の高熱にみまわれその日は1日熱は引かなかった。 自分は牛を飼う資格がないと告げられたのだ。
その年酪農をやめる決意をした。 それ以来肉を食べる時は家畜に感謝することを心がけるようになった。まさに口蹄疫などは人類に警鐘を鳴らしていることに気ずかなかればならないときなのかもしれない。
毎年家畜の霊を弔う馬頭観音にはお参りしている。 そして彼女の名前はガバネス ベッス ピーブである。 いまでも彼女の優しい眼差しは脳裏に焼き付いている。
十勝では開拓時代は馬で畑起しをしておりどこの地域にも馬頭観音があります。 当時は馬小屋と住宅が同じ屋根の下で続いており、寝起きを共にしていて家族同然の生活をしていた。現在は馬がトラクターに変わり馬がいなくなったので家畜(主に乳牛)の霊を奉るようになりました。 宗派は違えども生きる人類の犠牲になっている家畜に感謝する気持ちは大切なことだ。 宗教によってはお参りできない方もおりますが我が家はあまり宗教にうといので家畜に感謝する気持ちを優先しています。 ここで年1回地元のお寺のお坊さんを呼んでお参りをして出席者で会食をします。
ところで馬頭観音を奉っている建物はある農家のお父さんの作品です。 私は自費で防腐剤の塗装と屋根の塗装を手伝いました。 まったく手伝わない方で馬頭観音に防腐剤を塗っていいのかな!とか、屋根が錆びているのにいつになったら塗るんだろうと間接的に、時には直接的に言われる方がおります。 こんな人はごく一部ですが・・・・ 笑って「そのうち塗るよ。」と言って睨みます。 ちなみに我が家のお墓の墓標は木材に私が文字を書いて建立しています。 なんでもお手製。ある時はにわか宮大工になり、ある時は普通の田舎の親爺になる。 自分たちで制作することによって弔う気持ちを高揚することも大切です。
ここでお参りすると今でも彼女の事を思い出すのである。
かみさんの出身地苫前町よりJA苫前産「ゆめぴリか」5キロが届きました。 現在食べているのが写真左の「ゆめぴりか」ですがふと産地が気になりトレーサビリティーで調べてみた。 袋の左下に表示してあるC74086をホクレンパールライスのホームページで見るとなんと!!JAピンネ産(長男のお嫁さんの実家)でした。 ゆめぴりかは程よい粘りと豊かな甘み。 もう魚沼産こしひかりに匹敵する食味だと思います。 北海道でこれだけの米が作れるようになったのだからすごいことである。 毎日ご飯がおいしくてすくすくとパンパン(中国語も同じ発音)に育ってきている我おなかかな!今日(2月9日)の農業新聞でついにはじめて北海道の米「ななつぼし」が食味ランキング特Aにランクされた。 参考品種の「ゆめぴりか」も堂々特Aで新潟の魚沼産コシヒカリと肩を並べた。 新しい耐暑性品種が特Aに躍進している。 もうコシヒカリの時代ではないのだ。
今日は築35年の倉庫に鹿追農協製ビート(てん菜)の肥料(1袋500キロ)を52本収納しました。 これで本年の春作業に使用する肥料は揃いました。 あとは雪解けを待つばかり。
しかし、ホクレン清水製糖工場のビート面積は昨年に比べて大幅に減少のようで、盛んにホクレン職員が増反してください!と必死にお願いしていました。 わたしはもちろん最初から増反して16ha~18ha作付します。
帯広市主催のフードバレー十勝農業講演会が市役所で開かれた。それに出席したハヤカツさんよりまるで村瀬さんが講演(だったかなあ・・・・)しているかのように錯覚したとメールがきました。
講師は鹿児島県で青汁用ケール、ジャガイモ、サツマイモなどを契約生産している農業生産法人「さかうえ」の坂上代表でした。 私は講演を知らなかったので参加することができなかった。坂上氏は二年ほど前から新聞、雑誌等に時々掲載されていたので当農場と共通する点が多いと興味をもち、一度単独で視察に行こうと思っていたぐらいです。北海道ではケールとサツマイモを栽培しているとなると村瀬ファームしかないと思います。講演内容を新聞で読んでみるとほとんど共感できるものでお手本となりうる方だと強く感じました。
さて何から始めようか。 農業工程管理システムの取り組みは急務だ。 義弟が講演を聞いていたのでJAに働きかけてくれるそうだ。 偶然にも長男の結婚式で友人挨拶をしてくれた大学時代の同級生T君(石原軍団の徳重聡は従兄弟)は鹿児島県S市の出身で坂上氏と同郷でした。
ハヤカツさん情報ありがとうございます。
村瀬ファーム専属オペレーターの菅原牧場の菅原氏曰く、1月の中旬になるのにまだエミューがたまごを産まないそうだ。平年は12月から4月ごろまで産卵期があるが12月には必ず産んでたそうで今までこんな事はなかったそうだ。 ちなみにダチョウは3月から9月にかけて卵を産む。これも暖冬のせいでエミュー自体12月がまだきていないと判断しているかもしれない。 道内のエミュー飼育牧場は同じ傾向のようだ。 原因ははっきりしてないとのこと。暖冬がエミューの繁殖などに影響しているのは確実だと思う。 少子化もそうかなあ・・・・人間界も少なからず影響が出てきているはずだ。タカ&トシに言わせたら少子化か!!と、 写真のダチョウが笑っていました。 というよりも何かを訴えているようにも見えますが・・・・・・・・。
ダチョウとエミューは一年中卵を産んでいると思ったのは私だけでしょうか・・・・・・・・・・?
昨年ここの畑はジャガイモ畑でした。大型機械で収穫するため小粒のジャガイモは掘り残されます。そうすると次年度に他の作物を栽培した時に雑草として猛威をふるいます。さらに放置しておくとたくさんのジャガイモが実ってしまいます。これが野良芋なのです。この対策として寒い時期に畑を除雪して土壌の凍結を促し、ジャガイモを凍結させて枯死させる対策なのです。JA鹿追コントラ課で作業を委託して安価に行っています。 除雪が終わるとこのような状態になり凍結が十分入ったひと月後くらいに残っている部分を除雪します。最近は暖冬でこれでも野良芋が生えてきます。 今日1月31日コントラ課からTELがあり防風林の近くが凍結不十分で3回目を行いたいとの連絡。3回目なら安くならないのかいと尋ねると、価格は同じです。 と返答あり。 それではお願いしますと言うと職員は喜んで電話を切った。
11日の最低気温ー14度。 息子が友達とビニールハウスで焼き肉をすることになった。 もくもくと友達と焼き肉の準備に取り掛かる。 昼間とはいえー5・6度はあるし、ビニールハウスとはいえー2・3度くらいだと思う。寒いだろう・・・・・と思ったが。 準備する姿を横目に帰宅する山村留学生を空港まで迎えに出た。昼はまだ食べていないということで焼肉食べてみるか? と尋ねると、寒そうだけど食べたいと言うので片道一時間の道のりを我慢して車を走らせた。午後二時過ぎに到着しすぐジンギスカンと焼きそばをほうばる。 これが意外といけるし炭火で温かいのだ。真冬のジンギスカンもなかなかいけると感じた瞬間でした。 さすがに午後四時ごろになると寒くなったのでおひらきとなりました。 ビニールハウス内だったので着衣が焼き肉の香りが移ってしまい匂いぷんぷんでしたが一日たつと焼き肉くささもとれていました。
我が息子二人がお世話になった帯広農業高校野球部が熱い視線を向けられている。K監督(現札幌琴似工業監督)やY監督(現帯広柏葉監督)時代からの全力疾走、全力野球を継承し攻守交代は10 のカウントをして全力で走る。当時は嘲笑する方もおられたがいずれ評価されるようになるだろうと予想していた。一時止めようとする動きがあったかもしれないが我々は続けてほしいと願った。十勝管内では明治大出身のH監督がいた時の本別高と帯農が実践していたと思う。道内では鵡川高が代表格である。 野球だけ上手なだけではだめだ。
平成20年にエースだったS亮太君は高校時代はあまり活躍できなかったが東農大生産学部に入部してから頭角を現した。昨年の北海道六大学秋季リーグで4勝をあげ優勝に大きく貢献しMVP にかがやき、第41回明治神宮野球大会にエースとして出場し好投した。 そして平成22年度帯農高エースのF慎也君も先輩を慕い東農大に進む。二人を見るとF君のほうがプロ向き(田中マー君を小さくした感覚?)だと思うがどちらも将来のドラフト候補だ。サイドハンドだが本格派に育てても面白い。7人のプロ野球選手を輩出している大学だからきっとおおきく育つだろう。今から楽しみだ。
二人とも農業高校らしく農家のせがれである。
正月番組の楽しみの一つ大学ラグビーと大学箱根駅伝がある。今年は競走部に所属する鹿追出身者は明治大4年H君と帝京大2年のY君がいますが、とくにY君は4区にエントリーしています。先ほどお父さんにTel したところ主将(区間賞をとりました)と交代したとのこと。まだ2年生来年元気な雄姿を見せてほしい。長男の母校、明治大も最近力をつけて60数年ぶりの優勝を狙える戦力になってきて楽しみです。近頃なんでも早稲田大ばかりでたまには勝ってもらいたいものだ・・・・。
箱根駅伝はTV放送あり実力も人気もありで全国大会だと勘違いしている方がいますが、関東の大学しか出場するこができないのである。
農協で製造された来年使用の肥料を倉庫に収納しました。 この肥料はじゃが芋用20キロ袋で約700袋を使用します。 突然の吹雪に見舞われ委託した運送会社も大変そうなので老体に鞭打って手伝いました。 来月に残りの肥料は500キロ袋(トランスバック入り)90本を収納します。 45トンありますがタイヤショベルで収納するので老体には苦になりません。
今朝の新聞を見ていたら TPP環太平洋連携協定と FTA自由貿易協定の特集が載っていたが・・・。34年前、ホクレン畜産酪農海外派遣研修事業によりNewzealandで半年間酪農研修をした経験がある。 北海道と大きく違うのは積雪がないため搾乳施設以外畜舎を必要としない環境。 放牧が主流なため購入飼料や糞尿処理もいらない。 コストがかからないのである。
TPPは違う環境にありながら同じ土俵に立ち相撲を取ろうといっているのようなもので、八百長でもない限り横綱に幕下力士が挑むような無理なはなしなのだ。 当時NZ は農協組織がなく資金調達は高金利の銀行に牛耳られていた。 しかし、乳業メーカーの社長をしていた雇い主は、日本の農協組織を見習うべきとNZ に農協が必要だと常に口にしていた。 今では世界最大級の農協 と言える (フォンテラ社)がある。 農協不要論を唱える方はNZの現状を見てほしい。 TPP がもし締結されたならば(締結されないと思うが)お互いの農協が手を結び共存する道を模索できないのか検討してもらいたものだ。 こうなったらNZへ日本の農産物を売り込むしかないのだが、400万人台の人口では・・・・・・。
フォンテラは明らかに中国と日本、韓国などををターゲットにしていると思うが、中国で最大のシェアーをもつ三鹿集団との合弁会社は汚染粉ミルク事件を起こし餃子毒物混入事件とともに問題を世界中に提起した。 消費者に国産農産物の大切さを再認識させた功労?もあった。
今でも元気な雇い主からクリスマスカードが届く。3回目のNZ訪問はいつになるかと。 http://www.epochtimes.jp/jp/2008/09/html/d50707.html
然別湖コタンでの結婚式 北海道ホテルで親戚の結婚式があり、私の長男の結婚式も来年に控えているので興味津々で出席した。 今日は心に残る「言葉」を二流メーカーのPCにインプットしようと思った。 北海道ホテルに行って驚いたのは400名近い出席者。北海道は会費制なので友人やそうでない方々も気軽に出席できる。次男が制作したなれそめの再現ドラマ、小学校の先生だったので児童達のお祝いの言葉や先生方のパフォーマンスなど参加者を楽しませるプログラム?が盛りだくさんだ。 タレントの結婚式に出ているかのような錯覚をするあっという間の2時間30分でした。 親戚ということで披露宴の前段に行われる教会での結婚式に出席した。かなり長い神父の言葉のなかから 「ありがとう」 をいつまでも言える夫婦になりましょう。これを聞いたときに簡単なことだが言えてないなと反省しました。 今年、然別湖コタンで結婚式を挙げてからめでたく銀婚式(25周年)を迎えました。ちなみに私たちは氷の教会で結婚式を挙げた二組目です。ちなみに2、一組目は然別湖コタン二代村長 崎野隆一郎氏です。ちなみに3、三組目は現村長菅原末治氏。 いずれも三人は然別湖コタンで知り合いゴールインしているのです。
やっと寒くなり昨夜少し降った雪が融けなくなりました。東西のヌプカウシヌプリの山々も白くなり苦戦しているスキー場もほっとしていることでしょう。村瀬ファームの従業員も数名働いているのでやっと安心できるようになりました。 ということで冬季限定平成22年度モンド杯がはじまりました。
親子二代にわたって通った北鹿追保育所が閉所となります。 本日はたのしい発表会がおこなわれ、6人の園児の家族、関係者など100名近く集まり最後の発表会を楽しみました。出ずっぱりの園児たちに保護者、JA青年部、先生らの出し物も飛び出して会を盛り上げました。離農、後継者不足、少子化などの理由でわずかな園児では保育所運営もままならず、やむを得ない結論でしょう。またいつか再開できる日がくるかもしれません。最後に青年部の出し物ピュアレンジャー?と町長、地元小学生と記念撮影をして終了となりました。ピュアレンジャーレッド役は二男ですが台本、監督、主演の姿は父親を超えてるかもしれない・・・と感じました。追い越されたのかな・・・・?たいへんみなさんに好評でした。
苫小牧に住んでいる長男が来年結婚することになり、新郎新婦とともに私たちもタキシードなどの衣装合わせをしました。やはり花嫁衣装は悩むことが多いらしくふたつのウエディングドレスのどちらかを選定するのに悩んでいたので、両方着る結論になりました。 どちらも甲乙つけがたいので最良の方法をとりました。 どちらを着ても花嫁姿は綺麗だ。ウエディング着なくてもかわいいのだからあたりまえです。長男にはもったいないお嫁さんです。この場をお借りしてJAピンネの皆さまに感謝申し上げます。ありがとうございました。
BSテレビで中国四大女優のひとりチャンツィイーのデビュー主演作<初恋のきた道>中国語で<我的父親母親>を見て感激した。
自分自身で結婚相手を決めれない時代、都会から着任した先生に恋をした農家の娘がいた。 限られた材料で料理をつくり、食事のもてなしで純愛を知らせるが文化大革命によって二人の愛が引き裂かれる。 初めて彼を見た小高い丘で毎日帰ってくる彼を待っていた。 そして2年後にその村で初めて自分で選んだ結婚相手の先生と結ばれる映画である。
北京五輪を演出したチャンイーモウ監督らしい農村を舞台にした作品である。 彼が主演した<古井戸>も衝撃を受けた作品だ。
昨年の中国研修生の家はある程度電化製品はあるものの風呂がない。台所の燃料は薪。シャワーもストーブもないのである。どうするのか教えてもらった。 濡れたタオルで拭くのだそうだ。 夏も冬も。かなりの農家がシャワーすらないのだ。他にもたくさんあるがここでは触れないようにしよう。 ということで18歳のチャンの素朴な瞳にほれぼれしてしまい、映画のなかで料理したキノコの水餃子が食べたくなってしまった。 彼らの農村生活をこの目で見てきたので尖閣諸島のことよりも優先的な問題が農村には山積みされているのだ。 話があっちこっちしてしまったがチャンツィイーの水餃子はおいしそうだった。
10月8日に町主催の試験収穫に招待され行ってきました。 試験圃場ではベニアズマ、安納芋、などを栽培しています。今年の作柄は大豊作と言っていいでしょう。おおむね1株当たり1キロ前後の収量があり大粒のサツマイモがごろごろありました。後日、安納芋、ベニアズマを試食しましたが甘みも十分で内地産に匹敵するものでした。村瀬ファームでも来週収獲予定で、1.4アールで500キロ前後の収量があると思います。 今年も近所におすそ分けしないと。
酪農学園大の二人が委託実習にきて早くも一週間経ちました。 朝早くから起きて元気にあいさつをして長い一日が始まります。気温34度の暑さの中ケールとジャガイモの収穫作業を頑張ってくれています。 まったく経験もなく見るのも触るのも初めてのもことばリでしょうが遅刻、早退なしに仕事に励んでいます。 おそらく本人にとってもう二度と経験できないかもしれません。 それでは大学生の感想など掲載してみます。
大学生のMです。暑さに負けそうになりながら農作業をがんばっています。初めての経験で大変なことがたくさんありますが、楽しいです。最終日まで倒れない程度にがんばっていきます。よろしくおねがいします。
大学生のAです。ここ一週間34度という暑さの中で大変でしたが、とても刺激的で楽しい経験をすることができ、良かったです。また、炎天下で初めての農作業ということで大変なケール収穫後は楽な芋収穫をさせてもらい、ばてることなく農作業をすることができています。従業員には中国人とドイツ人がいて、日本以外の人と働くのも刺激的です。
夏休みを利用した農業実習がはじまりふたりの女子学生が来場しました。 さっそくケールの収穫作業を体験してもらい、続いてジャガイモの収穫作業も体験してもらいます。30度近い暑い気温のなか土と虫と汗にまみれ頑張ってくれています。 作業になれた従業員のペースに合わすとover work になるので、自分のペースでやるように注意しています。一時間おきに休憩をとり楽しく?実習がはじまりました。20日間の期間頑張ってください。
地元北鹿追地区の盆踊り大会に中国研修生と参加しました(他の従業員は疲れていることで不参加)。息子が実行委員長をつとめ農協青年部を中心に準備をしてきました。 当日はとなりの中野牧場の中国研修生二人とともにチーム村瀬ファームを組み見事5位を獲得。 また、お楽しみ抽選会では研修生二人が2等に当たりビール2箱をゲット。参加しなかったrieさんとクラウス夫妻におすそ分けをしました。 たのしい夏のひと時を過ごせました。
8月15日、同じ敷地内にある父母宅に親戚一同集合しました。 長男も入籍をまじかにひかえた彼女をつれてみなさんにご披露となりました。中国研修生も日本のお盆を満喫?していたかな・・・・。rieさんの両親のおみやげ 真鯛をお母さんがはじめて生きずくりをしましたが甘くてこんなおいしい鯛の刺身を食べたのははじめてでした。
みんなの料理をもちより7月の誕生会を開催しました。 rieさんは野菜たっぷりの春巻きとレンコンハンバーグ。 チーズ春巻きは絶品でした。研修生はニラの水餃子。 餃子の皮も小麦粉から手ずくりです。私は塩鳥の混ぜご飯。 梅肉としそが決め手です。 従業員一同でケーキを買ってくれ、かみさんへみんなからプレゼントがありました。
私の蕎麦打ちの師匠であるK氏、石臼引きの手打ちそばを持参してくれたのでごちそうになりました。 鍋まで持参して茹でるのまでしてくれ、従業員と家族でおいしく頂きました。 いつたべても手打ちはおいしい!!! 今年も練習を兼ねて何回も蕎麦打ちをせねば・・・!
いつまでたっても上手になれませんね?
6月22日に播種した3haのそば(品種キタワセソバ)が5日後に発芽しました。 無農薬で栽培しますからもうこんなに雑草も生えています。 除草機を2~3回入れ、手取りで残った雑草を取ります。 9月には農協が所有するコンバインで10a、6000円くらいで刈り取りをしてくれます。 最近は不作がつづき10a、45k~90kほどしか収量がないので、年々栽培面積が減少する傾向にあります。今年は全町で30haほどになったそうです。 鹿追そばの産地としてはさびしい数字です。 そこで、そば一俵あたり2000円の奨励金が町と農協から支払われることになりました。 さらにエコファーマーを取得しているのでプラスされます。
4月18日に完成した約40坪の雪室内部です。芽室の森浦農場を参考にさせていただきました。その頃はほとんど雪が残っておらず、除雪した雪山の残りの雪をショベルで入れ雪が降り積もるのを待ちました。 そうすると20日~21日かけてたくさん降雪があり、喜び勇んで1トンコンテナ14個に雪をつめて収納しました。 2か月がたち2段目のコンテナの雪はほとんど融けましたが、1段目のコンテナと最初に入れた雪は半分ほど残っています。 外気温が30度でも内部は100ミリのウレタン断熱をしているため2~4度Cと安定しています。お盆ごろまで何とか雪が残るのではと予想していますが・・・・・・・? 電気は一切使わず、自然エネルギーを利用した地球にやさしい北海道らしい低温貯蔵庫だと思います。 これから有効利用するための研究をしなければなりません。 ちなみに総工費は既存の倉庫を利用したため坪7万円位で完成しました。 まだ支払いはしていませんが・・・・・・。
昨年から建築していた従業員住宅3戸が完成し、工事関係者と村瀬ファームスタッフ一同集まり楽しくバーべキューを開催いたしました。ワールドカップサッカーの日本対オランダ戦がありサッカー好きの方は別会場で観戦になりました。忠類駐在の王 歓先生も二日目のホームステイとかさなり一緒に歓談しました。今日は気温が30度ちかくもなり熱かったせいか、北海道限定販売のクラッシックの生ビールは格段とおいしかったようです。いやおいしくてたくさんいただきました。おかげさまで主催者の私が一番先に寝てしまいました。みなさんありがとうございました。
4月28日に移植したてん菜に除草機を入れています。5月の長雨と大型機械で土が硬くなっているので25cmの深耕爪などを使って土壌を柔らかくします。これによっててん菜の根の発育をうながし、地温の上昇や排水対策などの効果があります。もちろん雑草もほとんどなくなります。
ここの畑の長さ540m、畝幅66cm、株間23cm、面積6.0haで、畑を20分くらいでゆっくり一往復します。一時間に0.7~0.8haの能力があり16ha終わるのには3日ほどかかります。ゆっくりしたスピード(4km) なので 睡眠不足だと居眠り運転をして雑草とともにてん菜までひっかけてしまいます。 最初に畑に入った時は緊張していますがそのうち飽きがきてしまいボーッとして居眠りが出てきます。 意外とつらい作業です。 贅沢な悩みかなぁ・・・・・・。
前方にうっすらと見える山が登山をした東西ヌプカウシヌプリです。
愛知県生まれのイチゴの苗を2200本、0.5haに移植しました。品種はゆめのか、とちおとめ、紅ほっぺ、あき姫などです。 その後20日ほどたち、ランナーが1本出てきました。これをペーパーピンなる紙製のピンで根がつくように止めていきます。 一つの苗で30~70本の子苗を育て、9月中旬に愛知県と埼玉県のイチゴ農園に出荷いたします。つまり幼少期から青年期にかけて寒暖差の激しい北海道でたくましく育ち、大きくなって地元にもどり、赤く甘く大きな実をつけます。
このたび、十勝 鹿追町 村瀬ファームウェブサイトを公開いたしました。 当ウェブサイトでは、農作業風景の写真やムービーを掲載し、十勝の農業を広く知って 頂くとともに、私たちの営みをご紹介してゆきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。