積丹町のS氏より電話があった。 実に34年ぶりに声を聞いた。 気には止めていたがなかなか連絡が取れずいつの間にか年賀状も失礼してしまい、音信不通になっていた。 彼はたしか農協職員であったとおもうが早くに退職して農業に新規就農をしたという。 現在は息子さんが後を継ぎ和牛と野菜の複合経営をしている。 東京の生協やラディッシュボーヤ(元キューサイの子会社)と近所の農家とともに契約しているらしい。
34年前、ホクレン畜産酪農海外派遣研修事業でNEWZEALANDに二人で参加した関係だ。 S氏は北島のNZ最大都市オークランドの酪農家に、私は北島のNZの首都ウエリントン近郊の酪農家でそれぞれ半年間研修をした。 そして休暇をもらい二人で地震があった南島の観光地をめぐり、クライシストチャーチの大聖堂も見物したのだった。
今回の地震でその大聖堂が崩れた状態は少なからずも半年間生活した国が被災したことは他人事ではない。 Sさんもいてもたってもいられず104番で電話番号を検索して連絡をくれた。 地震の少ない国だと思っていたがプレートがはしる地震国だとはわからなかった。