2011年3月31日

宮城県南三陸町へ向け支援物資が出発

Filed under: 体験付き修学旅行 — 管理人 @ 6:24 PM

東北地方への支援物資を積み込んだ10トントラックと災害派遣等従事者8人が鹿追から31日出発しました。  支援物資は多くの町民から寄せられ10トントラックに積みきれないほど集まりさらに一台ほどあるそうです。

 鹿追村時代、初代村長が宮城県出身であり宮城県からの開拓団が鹿追にたくさん入植していることから管内町村にさきがけて大震災被災地に出発しました。また町営住宅、町の研修施設、民間の施設などを被災者の受け入れのため用意しています。一足先に自衛隊鹿追駐屯地からは、隊員130名などが宮城県石巻市付近で3月14日から支援活動に当たっています。

今回は町職員、消防職員、農協職員、JA青年部代表で我息子が参加しました。 詳しいことはわかりませんが無事に支援活動に当たってくれるでしょう。 活躍を期待しています。

2011年3月25日

東日本大震災ボランティア募金に参加

Filed under: 中国人研修生,体験付き修学旅行 — 管理人 @ 9:13 PM

町ボランティア団体連絡協議会による募金が町内の主要商店などで行われお母さんも参加しました。 今日は最高気温0度と雪がちらつく寒い中ご婦人方が一日街頭に立って募金を呼び掛けていました。 農協で日本語研修を終えた中国研修生も募金をしてくれ支援金の手助けをしてくれました。

今日一日で33万円の募金が集まったそうです。 ありがとうございました。

2011年3月22日

鹿追町環境保全センター視察

Filed under: 未来へ向かうこれからの農業 — 管理人 @ 7:51 PM

恥ずかしながら はじめて町の環境保全センターを視察した。 昨年、農業実習にきていた大学生がゼミの参考にと我が家に遊びに来てくれたので同行した。 日本最大級のバイオガスプラントであり、町からの補助金など、14戸の農家で運営され余剰金を出すようになってきたそうです。 また国内のガスプラントの中で数少ない成功例の一つだと自負されています。 円形の発酵貯留槽は直径67メートルあり世界最大級だそうです。 丁度ソフトボール場のサイズです。大学生のMです。はじめて見ることや知ることばかりでびっくりしました。さすが、日本最大級だ!と思いました。

大学生Aです。バイオガスプラントのことはあまりよくわかってなかったのですが、今日行って説明してもらったり施設を見せてもらってたくさんの発見がありました。電力、肥料以外にも温水や車の燃料になるということが驚きました。これまた日本最大級のJA鹿追町コントラ課にも赴いた。こちらも事務所以外を初めて見せてもらった。 一台セットで5000万円するハーベスター6台を所有する農機具庫に案内された。いままでのジョンディア社は金属探知機しか装備されていなかったが、クラース社のハーベスターは石感知器が装備されており故障することがなくなったそうです。 小麦用コンバインもいずれそうなるかもしれないと思いました。新品のクラース社製ハーベスターに乗りご機嫌の二人でした。 しかし、鹿追には全国に誇れることがあまりにも多いと今回は感じた。地元に居ながら日本最大級の施設や思想等ありながら直接触れていない事に今更気がついた次第です。  鹿追に生まれ育ったことを感謝したい。 反対する意見や協力されなかったこともあったかもしれないがやりとおす力量といおうか実行力は全国に発信してもはずかしくないことである。 失敗をおそれず取り組む姿勢が大切だと思う。 そこにはサポートする鹿追の町民のすがたが象徴されている。

 

 

2011年3月21日

クロダ農機、最新油圧可変トレッド自走式スプレイヤー

Filed under: 農業機械の話 — 管理人 @ 10:21 AM

クロダ農機(隣の芽室町)の2台目の自走式スプレイヤーが届いた。 コンピューター搭載でGPS付き。車体、エンジン、キャビンはイギリス製。ポンプ、スライドブーム、タンクなどは国産。

今回大きく違うのは、日本で初めて前後輪油圧可変トレッドを装備してもらい、タイヤサイズを32から36インチに大型化してもらった。 これを購入する条件にもした。 つまりタイヤの車幅が自由に変えられることだ。 ヨーロッパのディーラーなどでも数社が販売しているが日本では販売しておらず、日本の数社のディーラーに輸入してほしいと依頼していた。 なかには前金をほしいなんて危ない会社もあり、50~60台の販売実績のあるK社に依頼した。 価格は割高になったが納得した上の決断で2?00万円を超えた。

2011年3月20日

親子で卒業ライブ

Filed under: 山村留学生 — 管理人 @ 9:43 PM

となりの慎ちゃんがプロデュースする、ステージザウルス(ライブ名称)に参加する高校生の卒業ライブがあった。 ホームステイしているYとTのバンドも参加するため中国の研修生と4人で初めて拝見した。 高校生は若さあふれる元気な声で演奏するがオジサンにはさっぱり誰の歌かわからない。

そうこうするうち同じ年代の方が(高校生の両親が中心だと思う)演奏をはじめた。 なかには30年ぶりにギターを持った方もいたとか。 しかしです。 テクニック、声量、迫力どれをとっても高校生を圧倒していました。 親子でライブなんて素敵なことです。 大人のバラードにはうっとりしてしまいました.

写真のボーカルTはオジサンとオバサンがたの後でやりずらいなぁーと話して歌っていた。 TとYはこのあと京都、埼玉の大学に進学するためライブが終わると帰る予定で二人とも看護士を目指します。 卒業後は鹿追が故郷になったのでこちらに来て看護士になるといっています。 奉公制度もあまりなく自由に就職できるようです。

 

2011年3月18日

第4期中国人研修生受入式

Filed under: 中国人研修生 — 管理人 @ 6:48 PM

JA鹿追町において第四期中国人研修生の受入式が行われた。  今回は4戸8名を受け入れ、総勢16名の研修生になった。 連日の地震と原発事故の報道が中国でもされて大騒ぎとなっています。中国では詳しい報道がないため日本が核爆発で大変なことになっていると。 北海道は安全だと言ってもなかなか理解されず中国の家族は心配しているようです。関係者のあいさつに続き、研修生代表のニョウさんが日本語で素晴らしい挨拶をしてくれ感激しました。4期の受入式のなかで最高の挨拶でした。

2011年3月17日

スーパーから食物が消えた日

Filed under: 体験付き修学旅行 — 管理人 @ 1:27 PM

埼玉県 川口市よりジャガイモや米などがスーパーから消えて手に入らなくなったそうで、当農場に支援要請があった。 これから宅配業者で大量に送る予定です。特にジャガイモは昨年不作なうえに買いだめの影響で小売店から消えてしまったのだろうと思われます。 ホームステイしている元高校生にも電池が不足しているので買ってきてと頼まれたようです。

 こんな状況の中、セリーグは巨人、中日の主導で3月25日に開幕するのを決定した。 理由は震災の復興にプラスになり元気が出る。 財界の有志(キャノン会長)も後押ししている。 巨人の経営陣と財界の非常識さにはあきれてしまう。

 また、経団連会長の記者会見で「1000年に一度の津波に原発が耐えていることが素晴らしい!」 さらに、「原子力行政はもっと胸を張るべきだ!」 と述べた・・・・・・・・。 関東平野の真ん中に原発を建設してはどうだろうか?  原発を国民全体でささえていかなければならないし再考する時だと思う。

 

 

2011年3月16日

ビートが発芽揃い

Filed under: ビニールハウスの仕事 — 管理人 @ 12:02 PM

3月6日~8日に播種したビートが発芽しました。例年より気温が寒い今年は発芽が心配でした。 しかし、今年もホクレンの種子は発芽率が良く良好な生育です。 4月末ごろ移植をするまで育苗をします冷える夜間は二重にトンネルをしてビートを寒さから守ります。5℃~10℃くらいにトンネル内の温度を保ちます。

このビニールハウスは135坪あり一つの温風ボイラーでは一晩中ボイラーをたいても限界があり、二重にトンネルにした方がBESTです。

やっと雪が降りました

Filed under: 未来へ向かうこれからの農業 — 管理人 @ 11:44 AM

15日中国研修生が来日したとたん20センチの降雪がありました。 昨年の12月以来やっと雪らしいものが降り、畑もほとんど雪がなくなりあちこち土が見えている状態でした。もう少し降ってくれないとのちのちまとめて降られるため今のうち降った方が安心です。

ホームステイの元高校生は喜び勇んでスキー場に飛んで行きました。 (いやぁー雪がいっぱいあって楽しかったと6時ごろ帰ってきました。 夕飯は地元鹿追牛と自家産タマネギ使用の牛丼ですが、のべ9人が食べ吉野家よりおいしいと好評でした。)

村瀬家で出店しようか・・・・・・

 

2011年3月13日

中国、ドイツ,NZから地震見舞いの電話

Filed under: 体験付き修学旅行 — 管理人 @ 12:47 PM

この間 中国四川とNewzealandの地震の心配をしていたと思ったのに、今度は日本での大地震を心配して電話がありました。 

中国から何回もかけていたけど繋がらずやっと繋がったと電話がきました。 中国研修生が13日に本土を出発する予定だったためこちらの様子を聞きたかったようです。 湖北省の省都「武漢市」までバスで行き、武漢から汽車で北京に行き千歳への直行便できます。 今回は13人の研修生が来るようで鹿追、忠類からも千歳までバスでお迎えに行きます。 私たちも千歳まで出迎えます。

 (13日13時頃日本に向け出発しました。千歳には15日12時30分到着予定)

昨年来てくれていたドイツ出身のクラウス夫妻から地震見舞いの電話と今年も働きたいとうれしい電話がありました。 なかなか英語の会話ではうまく伝わりませんでしたが元気そうで何より。 これで昨年の従業員が全員そろって来てくれることになり新しいメンバー4名を加えて頑張る年になりました。

2011年3月12日

村瀬ファーム内の従業員住宅改装はじまる

Filed under: 従業員の話,農場生活について — 管理人 @ 9:39 AM

従業員がぼちぼち来てくれることになり住宅の改装がはじまりました。 スキー場で冬季間雇用されていた我従業員も3月いっぱいで雇用期間が終わるようで4月から来てくれるようです。 今年は土地面積が増えさらにケール栽培も増え、従業員も新人4人が加わり増員しました。 今年一年楽しく、安全に営農できることを願いたいです。屋根裏を利用して改装しています。 設計図がない。 見積もりがない。予算がない。工期がない。のないないずくしでいつものように改装が始まりました。 築60年のカラマツ材なためまっすぐななものはほとんどなく苦労していると思います。

2011年3月10日

3日間でビートの播種が終了。

Filed under: ビニールハウスの仕事 — 管理人 @ 8:33 PM

仕事始めのビートの播種作業が3日間で終り、本日870冊のビートポットに約4時間にわたり潅水を行う。 自動潅水機のため見てるだけですが疲れます。一年中ビニールが張っているため土が乾燥していて、4時間の潅水でも水分が不足気味になる事があり注意しなければなりません。

潅水後は二重にトンネルをして温度を保ちます。 ハウスのなかは温風ボイラーで適温にセットして自動で温度を調節しています。 後は安心して寝ます。 4日後には発芽してくるのを待つだけとなり頻繁に温度管理をする毎日となります。

2011年3月6日

今年の春作業開始

約3ヵ月間の休暇が終わり、いよいよビートの播種作業が始まりました。 さすがにいきなり始まるので体がだるいような疲れているようなぐたーっとしています。  高校生三人は自給(時給)千円でアルバイトをしてもらい、今日は5haほど畑に移植できる種を播種しました。 全部で15ha分作るので3日かかります。土は昨年根雪前にビニールハウスのなかにストックしてありました。紙製のペーパーポットに土を詰め種を播種します。タンクからベルトコンベアーで土が運ばれ、この土詰め機で30数回上下に振動を与え堅く土を詰めます。次に一度に700個の種を播種できる播種板で一冊1400個の種を播きます。これを地面に丁寧に設置していきます。 あとは潅水をするだけになります。こんな感じで作業をしています。詳しくは後日に。午前午後に一回づつ休憩をとります。今朝はー5℃、昼ごろでプラスの4度くらいでした。

2011年3月4日

お母さんご苦労様でした

Filed under: 体験付き修学旅行 — 管理人 @ 8:53 PM

今日は高校を卒業した山村留学生3人がホームステイしている。 自動車学校も無事に卒業でき運転免許を取得できたのでお祝いを兼ねて夕食会を開いた。 

お母さんが5年間JA女性部の役員を無事卒業することになり、お疲れさん会をする食事処に送りがてら夕食をとなり合わせで食べた。 我慢できず生ビールを飲んでしまったので留学生にさっそく運転してもらい無事に帰宅できました。 新しい役員さんにこれからお願いしますと言葉をかけお母さんを置いてきた。  5年間ご苦労さんでした。 

後日談、担当の職員と役員さんでたくさんカラオケを歌ったよ、と1時ごろ上機嫌で帰ってきた。 たくさん歌ったとはめずらしいねぇー。 何曲歌ったの?聞くと 「1曲」! 他の人がたくさん歌ったようでした。 やはりうちのお母さん飲むのが専門です。

積丹町から34年ぶりの声を聞く

Filed under: 未来へ向かうこれからの農業 — 管理人 @ 8:25 PM

積丹町のS氏より電話があった。  実に34年ぶりに声を聞いた。 気には止めていたがなかなか連絡が取れずいつの間にか年賀状も失礼してしまい、音信不通になっていた。  彼はたしか農協職員であったとおもうが早くに退職して農業に新規就農をしたという。 現在は息子さんが後を継ぎ和牛と野菜の複合経営をしている。 東京の生協やラディッシュボーヤ(元キューサイの子会社)と近所の農家とともに契約しているらしい。

34年前、ホクレン畜産酪農海外派遣研修事業でNEWZEALANDに二人で参加した関係だ。 S氏は北島のNZ最大都市オークランドの酪農家に、私は北島のNZの首都ウエリントン近郊の酪農家でそれぞれ半年間研修をした。 そして休暇をもらい二人で地震があった南島の観光地をめぐり、クライシストチャーチの大聖堂も見物したのだった。

今回の地震でその大聖堂が崩れた状態は少なからずも半年間生活した国が被災したことは他人事ではない。 Sさんもいてもたってもいられず104番で電話番号を検索して連絡をくれた。 地震の少ない国だと思っていたがプレートがはしる地震国だとはわからなかった。

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