嫁の父親の法事『五〇回忌』母親の十七回忌を苫前町の東本願寺のお寺で行った。ちなみに我が家は西本願寺。通称『お西』と呼ばれる。百回忌もあるが現実的には最後の法事になる。東京、札幌、小樽から孫、ひ孫も集合して、久しぶりの会話が弾む。我息子、娘たちは数十年ぶりの訪問で、これが最後になるかもしれない。義母の二十五、三十三回忌もあるが、我々が存命しているかどうか・・・?。
近親者で地元に残っているのは甥っ子一人である。セイコーマートへ納入している乳製品会社の商品開発を担当している。地元『苫前メロン』の規格外品を利用したメロンアイスを開発して大ヒットさせた。
実家は水田農家であったが、住宅もなく更地になり納屋の基礎部分が面影を残すのみとなった。開拓時代10人の婦女子がクマに襲われ亡くなった熊害事件の地区になる。今にも熊が出そうな田舎で、笹藪が風で靡くと『熊が笹をかき分けたのでは』と震え上がったことを思い出す。
40年近く前に田植えを手伝いに行ったが手植えだったため四苦八苦した苦い経験があった。田植えの前にまっすぐ植えるため(目印)のカゴを引くのだが。。。。水田に入るのは初めての経験。当然、ゴロ引きと言うらしいがカゴを引くどころか歩くのも大変であった。ゴロ引きが終わり後ろを振り返るとグニャグニャに曲がり『あ〜あ』とため息が出る。必死の思いで『出面さん』と呼ばれるアルバイトのおばさんが来る前に1筆の田んぼを終えた。
いよいよ出面さんが田植えを始めようと田んぼを見て、次に私を見て『何やっているんだ!こんなんじゃまっすぐ植えれない!』『ちゃんとやらんかい!!』とリーダーに目っこし怒られ、ゴロ引きを首にされた。出面さんがやり直ししている姿を横目に退散したのだった。小股で水田を歩くコツがあるらしいのだが初めての私には無理難題であった。
今も水田を見ると、苦い思い出がよみがえる。